→カセットテープ・カートリッジ版「朱里エイコ ゴールデンヒット」
シングルと同じ写真が使われている。
購入特典として、B2サイズ相当のポスターが封入された。
試聴盤には「夢の中に君がいる」と「甘い夜の果て」を収録。
ヒット中のシングル「白い小鳩/愛の場所」をフィーチャーした2枚組オリジナル・アルバムで、翌年3月末から3度目の長期渡米を果たすことになる朱里エイコの置き土産的な作品である。
これ以降に発売されたオリジナル・アルバム2作は完全に洋楽へ傾倒していくため、いわゆる歌謡曲を配したスタジオ録音のオリジナル・アルバムは本作が最後となった。
1枚目は従来のアルバム構成を踏襲したベスト盤のようなもの。
2枚目はこの作品の目玉で、12曲全てが新作である。新顔からベテランまで多彩な作家を迎え、新しい女心の世界を展開、さまざまな愛の形を見せつけた。
この頃、母・朱里みさをはアメリカで熱心に娘の売り込みをしており、また、夫でマネージャーの渥美隆郎は事務所から既にアメリカ行きの許可をとっていたという。(週刊平凡 1974年10月24日号より)
朱里エイコが日本での芸能活動で感じていた違和感が最高潮だった頃、彼女の知らないところで、周囲が彼女の活路を見出すのに尽力していたということだ。そんな中で製作されたアルバムである。
前述の"朱里エイコが感じていた違和感"とは、ひとえに日本における音楽業界のトレンドの変化に他ならない。ちなみに1974年は、前々年のぴんからトリオ(ぴんから兄弟)の大ヒットをはじめとする歌謡曲の人気がピークだった年で、年間チャートの1位は殿さまキングスの「なみだの操」である。
これまで洋楽方面に幅広く新境地を拓いてきた朱里エイコがここへ来て180度方向転換、新作群は時代の流れに追従した歌謡曲一色の内容となっているため、聴く人の好みが分かれる作品となっている。
ともすれば夜っぽさや水っぽさを前面に出した、猫も杓子も歌謡曲という状況が3度目の長期渡米に弾みをつける原因の一つになったということは想像に難くない。
アダモ自身が女性の腰に手を回しているところ。
1965年6月に発売されたアダモのヒット曲。邦題は歌詞の中にある"pour venir habiter mon rêve"という部分から付けられた。
越路吹雪が歌ったカバーもヒットし、1966年の第17回紅白歌合戦にはこの曲で出場している。また、彼女に関連する書籍のタイトルにはこの曲の邦題がつけられているものがある。
2003年に、タイトルをもじったフランス映画『Laisse tes mains sur mes hanches』が公開された。3人の旅芸人との出会いを通して大きく変わってゆく女性を描いたもので、監督・脚本・主演を全て女優のChantal Laubyが務めた。撮影は日本人の映画監督である永田鉄男が担当している。
しばしば「腰に両手を当てて」とは一体どういう状況か、ということが話題になるが、フランス語詞の"laisse mes mains sur tes hanches"のmes(男)とtes(女)に注目すれば、怒ってないで許してくれよと男が女に語りかけている情景がわかる。
ピンと来ない描写を生んでしまったのは、岩谷時子が越路吹雪のために訳詞をした際、男女を入れ替えたために起こったことである。男が両腰に手をやってプンプン怒っているというのは、よく考えればおかしな状況ではあるが、強い女性が増えた今日なら普通にあり得る状況かもしれない。
このアルバムで初出となった本作だが、もともとは「SUPER SELECTION TODAY」のためにレコーディングされた一連のアダモ作品のひとつだろう。
「白い小鳩」のカップリング曲である「愛の場所」と同じく、さいとう大三と馬飼野俊一によって作られたもの。B面候補だったものだろうか。
とりたててキャッチーなサビを持った作品というわけではないが、どこか内山田洋とクールファイブの「東京砂漠」や狩人の「あずさ2号」を髣髴とさせるような、王道の歌謡曲的展開を持った曲調になっている。
愛していた女を描いた書きかけのキャンバスを持って訳も言わず去った男は、今は完成したその絵を飾った古い喫茶店を営んでいる。人づてに男の行方を知ってしまった女のこれからを想像せずにはいられない。イントロからよく響くオクターブ和音のトランペットの音色が、この行間のある歌詞を盛り立てている。
ところで、絵画にまつわる男女のやるせなさといえば、ちあきなおみの「ルイ」が思い出される。1989年というキャリア後期に出された「喝采~紅とんぼ 吉田旺 参分劇」というアルバムに収録されている。
甘い雰囲気のロマンチックなイントロから、さりげないギターのアルペジオが奏でられるメインパートのコントラストが、甘い夜の果てにくすぶる女の切ない感情を見事に表現している。
そんなドラマッチックなムードからマイナーポップス調のサビに移っていく様子やサビ自体が、弘田三枝子の隠れた名曲である「蝶の雨」とよく似た楽曲となっている。ちなみに、どちらも馬飼野康二の1974年の作である。
また本作は、B面収録の「追憶」と共に、阿久悠が朱里エイコに歌詞を提供した数少ない作品のうちの一つである。
――さらば、男だったならいってみたいけど
――またね、いえるものならばいってみたいけど
行きずりの一夜の情に図らずもほだされてしまった女。男の乗った船が去っていく様子を見つめながら、愛しても仕方のない沖の鴎に心が乾いていく悲しい女心を逆説的な技巧で描写している。
キングレコードからデビューしたばかりの頃の初期作品を担当して以来、久々にすぎやまこういちが朱里エイコに楽曲提供した作品のうちのひとつである。
ハープの装飾音が歌詞通りの眩い旭光をイメージさせる、ロマンチックで美しいイントロから始まり、そこから意表をついたように曲調が変わるのが特徴になっている。
強いリズムの本編は、不倫関係の罪深さに懊悩する女の狂おしい思いを表したような雰囲気がある。間奏はエフェクトギターのアドリブ演奏をメインに、帰っていった男が残していった体の疼きを反芻しているようなエロティックなムード。そして本編のリフレインと切れの良いエンディングへと続いていく。
これら曲中のコントラストが絶妙で、全体的にはノリノリのグルーヴ歌謡である。
本作の歌詞を担当した白井章生は、山口百恵のアルバムに多数作品提供している作詞家で、"うさみかつみ"という名義でも活動している。Three Degreesの大ヒット曲「When Will I See You Again(邦題:天使のささやき)」の日本語歌詞が有名。
ところで、全編に登場するシンセサイザーの電子音かと思うほど安定したハイノート・トランペットが、「Get It On(邦題:黒い炎)」などで有名な、ブラスロックのChaseのシャープな音を思い起こさせる。
日本人歌手のカバーとしては和田アキ子のものがよく知られている。また、1973年頃の「資生堂・サンデーヒットパレード」という番組で朱里エイコ自身がカバーしている音源をYoutubeで聴くことができる。
→黒い炎/朱里エイコサード・アルバムの「いつもの道」以来、安井かずみが久々提供したオリジナル作品のひとつ。このアルバムでは本作の他に「光る海」「あいつ」と、オリジナル歌詞を3曲提供している。
曲の担当は穂口雄右、キャンディーズのシングルの作曲担当が森田公一から一旦バトンタッチした頃のことである。キャンディーズに提供した初めてのシングル曲は「なみだの季節」(1974年9月)。ちなみにその前作は「危ない土曜日」(1974年4月)で、安井かずみが歌詞を担当しているのが面白い。この後キャンディーズは「年下の男の子」が大ヒットとなり、スターの階段を駆け上がっていった。
安井かずみと穂口雄右のコンビ作といえば、ワーナー・パイオニアいち押しの新人・あいざき進也のデビュー・シングルからサード・シングルまでが全てこの2人による作品となっている。
――風に吹かれて いいじゃないの それでも 無理に 恋など 捜さないわ
このサビの歌詞とメロディーの部分が特にキャッチーかつ爽やかな印象。また、イントロからラストまで随所に入ってくるスキャットがとても心地よい作品である。
ところで、「心の痛み」に引き続き、このヒロインもドアに貼り紙をする女である。あちらは「旅に出ます」と貼っておきながら部屋に引きこもっていたパターンだったが、こちらには「捜さないで」とでも書いてあるのだろうか。
眩いほどの夕陽の照り返し、光る海を前に幸せの絶頂のふたり。
朱里エイコが歌った男と女の恋愛沙汰の中では極めて稀な、翳のかけらもない幸福を描写した歌である。
本作はクニ河内が朱里エイコに提供した唯一の楽曲。イントロなどで使われるスチールギターの音色や、全編に使われているギターのリフやギロやタンバリンの音が、南国的で開放感のある雰囲気を醸し出す作品となっている。
「ワンツー・どん!」のLPから、右がクニ河内。石川晶や田中星児の姿も。
クニ河内は、実弟であるチト河内らと結成したザ・ハプニングス・フォーでの活動が知られているほか、朱里エイコもエントリーした日本歌謡祭'72では「透明人間」で作曲家グランプリを受賞している。
また、研ナオコの「あばよ」など、歌謡曲のアレンジャーとして活躍する傍ら、NHK教育の音楽番組『ワンツー・どん!』に出演するなど子供向けの音楽の創作に力を入れていた。小学館「小学一年生」のCMソング「ピッカピッカの一年生」、東ハトのオールレーズンのCM曲が特に有名。
参考までに、デッキを駆け下りる船員たち。映画『On The Town』よりFrank Sinatra(左)とGene Kelly(右)。
周囲に長距離航海や遠洋漁業に従事する人間が全くいなくても、実際に水兵や船乗りを見たことや憧れたことがない世代でも、何故か共感できてしまう何とも不思議な世界。
そんな歌謡曲界のマドロスものといえば、悲壮感が漂うものが多いイメージだが、この作品は幸せの予感に満ちた珍しいパターンで、描写がリアルな異色作である。
本作の作者である牛車茂という人物について情報はほとんどなく、来歴等がよく判っていない。城みちるの楽曲にその名前を見ることができる。
あかのたちおは、すぎやまこういちに師事した作曲家。有名なところでは、「ビューティフル・サンデー(田中星児)」「弟よ(内藤やす子)」「嫁に来ないか(新沼謙治)」などのアレンジを手がけている。作曲ではビューティ・ペア「かけめぐる青春」や「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のテーマ曲あたりが代表作である。
タイトルの通り、Barbra StreisandとRobert Redford主演による大ヒット映画『The Way We Were(邦題:追憶)』の主題歌を髣髴とさせるような、洋楽テイスト溢れる美しい作品となっている。
恋に破れた女を歌った、これまでの全作品に対するアンサーソングとも言えそうな内容。結婚を控えた、新しい人生を歩んでいこうとする穏やかな女性の心情をメロウなバラードに乗せて歌う。
同時に、この年の初め、数々の障害を乗り越えて結婚した朱里エイコ自身がオーバーラップする内容になっている。人生の投影や時代を反映した叙情を綴ってきた阿久悠らしい作品と言えるだろう。
――あなたには帰る 港あるという
この女のたどり着く港はどこにあるのだろうか。男が帰っていく人や家のことにまで思いを馳せるようになった不倫女にたどり着く港などない。朽ちた船、崩れた帆柱、愛の亡骸と喩えられる難破船とは言うまでもなくこの女自身のことである。
中森明菜の「十戒(1984)」のB面「これからNaturally」の作詞をしたSEYMOURとは麻生香太郎のこと。
「難破船」といえば恋愛を題材にした同名異曲が多く、中でも加藤登紀子が1984年に歌ったものがよく知られている。1987年に中森明菜がカバーをヒットさせたことで有名になった。
このアルバムに2作歌詞を提供している麻生香太郎は、東大文学部在学中から活動していた作詞家。ちょうど学生時代の作品ということになるのだろうか?ちなみに作曲のすぎやまこういちも同窓である。
代表作としては、森進一の「新宿みなと町」や小林幸子の「春待ちれんげ草」や小柳ルミ子の「桜前線」「花車」などのヒット曲が有名。また、朱里エイコの「SAMURAI NIPPON」の日本語詞を手がけているほか、野口五郎の紅白出場曲である「コーラス・ライン」やペドロ&カプリシャスの隠れた名曲「陽かげりの街」(杉山政美と共作)が知られている。現在は転身して、芸能ジャーナリストとして活躍している。
映画『Love Story』のテーマ曲をヴォーカライズしたもの
このアルバムの中で唯一、作詞・作曲からアレンジまで新人のみで作り上げられたフレッシュな作品である。
嵐の中、去っていった(逃げた)男を涙ながら追う、一世一代の恋に賭けた熱い女を描いたもの。どうしたって幸せな未来など待っているはずがないのに、周囲のことなどお構いなしの体当たり的なヒロイン像が異色である。
タイトル通り、イントロからスピード感に溢れた曲調になっている。ラテンの名曲である「エル・クンバンチェロ」や「クマーナ」を思わせる疾走感あるアレンジといい、間奏の掛け声や擬音といい、なんともいえない濃さを感じる。本作を聴いていると男役時代の真矢みきの芸風を思い出してしまう(現在の女優姿からは想像できないほど、非常にアクの強い芸風だった)。
イントロから早々に登場するサビのメロディーは、映画『Love Story(邦題:ある愛の詩)』のパクr……もといオマージュに違いない。
安井かずみと穂口雄右コンビによる2作目は、「いい時とわるい時」と同様にキャッチーなメロディの曲である。ベースのリズムの刻みを前面に出したギターパートと、女声のスキャットやコーラスがうまく絡み合った楽曲である。
態度でしか表せない不器用な男と、愛をひとつひとつ言葉にして欲しい女の、典型的な平行線を描いたもの。1930年に、フランスのシャンソン歌手であるリュシエンヌ・ボアイエが歌った「Parlez-moi d'Amour(邦題:聞かせてよ、愛の言葉を)」のタイトルが端的である。
解っているのに焦ってしまうという、人並みの恋愛をしたことのある人なら誰もが経験する不安な気持ちが微笑ましい。ただ、こういう男性にプロポーズや愛の言葉を性急に求めるのは女性にとって一種の賭けである。舟木一夫の「グッバイ・ソング」の歌詞にある"追えば逃げる、待てばはぐれる"というのがぴったりの状況である。
アイドル歌謡的な性格が強い本作は、例えば、男性アイドルであれば沢田研二や西城秀樹の歌声が聞こえてきそうな雰囲気がある。意外と、梓みちよや内藤やす子のような大人っぽい女性が歌っても面白いかもしれない――というのは完全なる私見につき悪しからず。
愛する夫を亡くした妻の哀しみを、一粒種の赤ん坊への慈しみを通して間接的に表現した作品である。
子の父は登山中に遭難して帰らぬ人になったのだろうか……タイトル通りの子守唄らしい心地よいメロディーが、それとは裏腹な歌詞の内容を引き立てている。
本作は、朱里エイコのヒット曲「白い小鳩」を作り出した山上路夫・都倉俊一コンビによる作品である。両氏とも多作の売れっ子作家だが、このカップリングではダントツの知名度のあるヒット作が不思議と存在していない。1979年1月にデビューしたアイドル・倉田まり子の初期の作品で集中してコンビを組んでいるぐらいか。
また、都倉俊一は印象の強いメロディーを多く作ってきたイメージの強い作曲家だが、本作では全く正反対の、メルヘン的で叙情的な音楽の世界を表現している。