付録のカラーポスターは、B1相当の特大サイズ
ワーナー・パイオニア創立3周年記念のプロモ盤。「死ぬのは奴らだ」と「雪が降る」が収録された。
朱里エイコにとって初めての2枚組によるスタジオ録音のアルバムである。
いわさきちひろの水彩画的なタッチで描かれた華やかなジャケットデザインで、同時発売になった小柳ルミ子の「あした日本晴れ」やアグネス・チャンの「FLOWER CONCERT」も同様のデザインになっている。"一足早い春"というようなフレーズで売り出された。
シングル「あなたの勝ちだわ/そんなのないわ」に先立って発売され、また同楽曲をフィーチャーしたアルバムでもある。1枚目は邦楽(アダモのカバーが2曲入っている変則的なもの)、2枚目は全て洋楽カバーという従来のオリジナル・アルバムを踏襲した作りになっている。
1枚目A面は全ていずみたくが作曲した新作でまとめられており、アレンジャーには今までの作品にはなかった名前も見られる意欲作である。B面には過去にヒットした旧作を収録しつつ、アダモのシャンソンをカバーするという新境地に挑戦した。
2枚目A面は全て映画の主題歌で、スタンダードなものから最新作まで、バラエティに富んだ選曲。続くB面ではロックに特化したカバーをラインナップ。徐々にハードなものを持ってきて、ラストではジャニス・ジョプリンの名曲で締めくくるという、趣向を凝らした構成となっている。
2枚目B面の編曲を担当しているチト・河内グループとはトランザムの母体になったものかどうかよく判っていないが、他のアーティストの編曲にもクレジットされているのを見ることができる。
チト河内は作曲家・編曲家で、作曲家のクニ河内は実兄。グループサウンズ末期に活躍したザ・ハプニングス・フォーやその後結成したトランザムの活動などで知られている。
青い三角定規「太陽がくれた季節」や、いずみたくシンガーズ「帰らざる日のために」や、中村雅俊「ふれあい」など、青春群像を描いたテレビドラマのヒット主題歌を生んだ山川啓介・いずみたくコンビによるオリジナル曲である。
平成になっても街に立ち続けた女性を五大路子が演じた。
――パパの名はサムと言うそれしか知らない
たった19年で人生をはかなむには早すぎる。生まれながらのアウトローに世間の風は冷たいのだ。それでもけなげに生きてきたこの少女には同情せずにいられない。
ヨコハマ・ダウンタウンとは、日本三大ドヤ街のひとつ寿町……というよりも伊勢佐木町の対岸にあったといわれる阿片窟、日の出町や黄金町周辺の話だろう。どちらにせよ、戦後10年間アメリカ軍に接収された寿町を中心にした関外エリアの話で、この歌詞に描かれる少女はどう考えてもパ○パ○の子供である。
戦後のどさくさから高度経済成長の仇花まで、この世代は未だ健在なのでこの問題について真っ向から議論したりあるいは記述されていくのは当面先のことになるだろう。
本作は最初に列挙したような青春歌謡とは全く縁遠い世界であるが、思春期を屈折して過ごした青少年に焦点を当てている意味では共通するものがあるだろう。
とはいえ、本作のヒロインは、戦後の日本社会のもっと奥深いところに潜む社会問題を孕んでいるもので、簡単にひとまとめにすることはできない。
宮本光雄は、ガロの編曲やキャンディーズの作曲のほか、河島英五やしばたはつみの楽曲などで名前を見ることができる。由紀さおりのLP「挽歌/季節風」の収録曲が面白い。
シングルB面に収録された「そんなのないわ」と同じく岩谷時子・いずみたくコンビによるオリジナルである。アレンジには松岡直也を起用、青い三角定規の「太陽がくれた季節」でアレンジャーを務めた縁だろうか。
一連のオリジナル新曲の中で最も異色の作品。これは、ジャズ・ピアニストとして活動してきた松岡直也のアレンジの力が大きい。
ステージショーのオープニングのようなジャジーなイントロ・アウトロ、間奏、随所に入る装飾的なパートが特徴となっている。遍歴を重ねた女のささやかな願いを歌ったもので、バーレスクの楽屋裏ミュージカルなんかが似合いそうな色っぽい楽曲になっている。
松岡直也は、ジャズ、ラテン、フュージョンなどを手がけたミュージシャンで、2014年4月に惜しまれつつ亡くなった。ミラージュのCMに使われた「九月の風」、ANNニュースのテーマ曲、わたせせいぞうのマンガ原作のアニメ「ハートカクテル」の音楽が知られている。
中でも、1985年3月に発売された中森明菜のシングル「ミ・アモーレ」は第27回日本レコード大賞でレコード大賞を受賞という大ヒットになった。自身は日本作曲大賞で優秀作曲家賞を受賞している。
シングル「あなたの勝ちだわ」と同じ、山上路夫といずみたくのコンビによるオリジナル作品。シングル「恋の衝撃」のヒット以来1年ぶりとなるカップリングである。
きっかけを挟んでエレキギターやクラビネット?の"電子音"とストリングスやブラスの"生音"がそっくり入れ替わる様が面白い。また、部分部分で沢田研二の「勝手にしやがれ」(1977年)が空耳で聴こえてくる気がするのは気のせいだろうか。
ところで、この楽曲では朱里エイコの歌唱の中でも珍しい、張り上げた語尾で声を裏返すのを聞くことができる。後年のぶりっ子アイドルやつんく♂なんかがよくやるものとはまた別で、普段こういう歌い方をしない歌手が感情表現で"たまに"使っているのを聴かされるとグっとくる。
いずみたくミュージカルでおなじみの藤田敏雄・いずみたくコンビによるオリジナル作品である。藤田敏雄の朱里エイコへの新曲書下ろしは本作が初めてとなる。
軽快な明るいサウンドと、それとは対照的に伸びやかな歌声がマッチした叙情的な作品。ミュージカル『死神』の「顔を見ないで」(「朱里エイコ・オン・ステージ」に収録)でも見せた、リアルと幻想を行き来するような詩情豊かな作品となっている。
藤田敏雄は、日本の創作ミュージカルにおける礎となった脚本家・演出家である。いずみたくとコンビを組んでのミュージカル製作が有名で、オリジナル・ミュージカル「歌麿」(菊田一夫の作品とは別物)はアメリカ各地でも上演され評価された。このほか、1964年の開始以来現在も続いているテレビ番組「題名のない音楽界」の立ち上げや番組構成に携わったことでも知られている。
イントロだけを聴いていると、そのまま「Saturday In The Park」あたりにつながっていきそうである。
1963年に発表されたSalvatore Adamo(以下アダモ)の作品で、同じ年にヒットした「サン・トワ・マミー(Sans toi mamie)」に続く大ヒット曲である。
欧米の各国語だけでなく日本語やトルコ語など様々な言語に翻訳され、多くの歌手がカバーしている。それと同時に、アダモ自身も各国語でレコードを出しているのが特徴。日本語の訳詞には、アダモ本人が歌った安井かずみバージョンと、越路吹雪が歌った岩谷時子バージョンがある。
1967年に初来日した後、1968年には「Valse d'été(邦題:愛のワルツ、または過ぎし夏のワルツ)」とのカップリングで両面日本語で歌ったシングルが発売された。それ以降、日本の歌手が盛んにカバーするようになり、前述の越路吹雪や尾崎紀世彦をはじめ数え切れないほど多くの歌手がカバーしている。
クレジットの通り、朱里エイコは安井かずみバージョンを歌っている。アダモの日本語を真似ているのか、途中の語りの部分が変になまっている。
Salvatore Adamoは、フランス人ではなく、シチリア島出身のイタリア人。幼少の頃に父の仕事のためベルギーに移住して育ったシンガーソングライターである。若くして人間臭さと虚構が織り交ざった愛の世界を描き出し、Jacques BrelやRaymond Devosなど各方面のベテランから絶賛された。また、親日家としても有名である。
オリジナルはアダモが1969年11月に発表した「Mon Cinema」で、邦題の「ヘイ・ジュテーム」は作中の歌詞から取ったもの。
沢田研二がザ・タイガ-ス在籍時代からレパートリーにしていた曲としても知られている。訳詞は安井かずみによるもので、後に沢田研二の大ファンだったことを告白している。
007のテーマソングのイントロのような、何かサスペンス的な不穏な雰囲気を持ったイントロから始まるマイナー調の曲全体が、「愛している」という言葉とうらはらに刹那的行動をとってしまう男の性(サガ)に向けられる女性の疑惑の心情を醸し出している。
ちなみに、フレンチ・ポップスという呼称はミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」(1969年)が日本でヒットした1971年から始まったもので、それ以前のフランス語の流行歌はジャンルを問わず総じてシャンソンと呼ばれていたようだ。アダモの曲はシャンソンと分類される向きがあるが、この「Mon Cinema」などはフレンチ・ポップスと呼んでもよさそうな作品になっている。
1973年7月に公開された映画『007 Live and Let Die(邦題:007 死ぬのは奴らだ)』の主題歌でロック・バンドのWingsが歌った。
Wingsとは、ビートルズが解散した後1971年にPaul McCartneyが妻のLinda McCartneyとDenny Laine(「サテンの夜」などで有名なプログレのThe Moody Bluesというバンド出身)を中心にして結成したバンドである。映画のクレジットではPaul McCartney & Wingsと表記された。
映画『007 死ぬのは奴らだ』はイアン・フレミングのジェームズ・ボンドシリーズ第2作で、映画としては第8作にあたる。ロジャー・ムーアが初めてジェームズ・ボンド役を演じた作品である。
この映画のサウンドトラックを担当していたのがビートルズ時代のプロデューサーGeorge Martinで、その流れでPaul McCartneyが率いるWingsを起用。映画と共に主題歌も大ヒットとなり、UKチャートでは7位、Billboard Hot100では2位に輝いた。
1972年12月(日本は翌年3月)に公開されたGene Hackman主演の映画『ポセイドン・アドベンチャー』の挿入歌かつ主題歌。映画と共にMaureen McGovernが歌った主題歌も大ヒットし、第45回アカデミー賞では歌曲賞を受賞した。
ソウル・ファンク・ディスコが急に失速した代わりに台頭してきた80年代のAORラブ・バラードの先駆的な雰囲気がある作品になっている。
劇中、歌手役であるCarol Lynleyの吹き替えで歌ったのはRenée Armand(レネー・アーマンド)。Maureen McGovernが歌ったものは、このカバーということになる。
Renée Armandは、Jim Gordon(Eric Claptonの代表作である「Layla」を共作したことで知られるドラマー)と一時期結婚していた女性歌手である。
映画『ポセイドン・アドベンチャー』は大津波で転覆した豪華客船から脱出を試みる生存者たちを描いたパニック映画。2006年にはカート・ラッセルを主演に『Poseidon』というタイトルでリメイクされたが、第27回ゴールデンラズベリー賞では最低リメイク賞にノミネートされてしまった。
ちなみに、主題歌の"morning after"というフレーズは、"きたる朝"という意味と"二日酔い"という意味のどちらにも取れるように使われている。最近では、モーニング・アフターといえば緊急避妊薬のことを指すことが多い。
ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』のナンバーで、ユダヤ人社会で行われる伝統的な結婚式のシーンに使用される曲。長女の結婚式で、主人公である父と母、次女とその恋人の掛け合いを軸に構成される重厚なコーラス曲である。結婚に対する若者の視点と親の視点の対比を、日の出と日の入りに掛けた美しい作品である。
朱里エイコのバージョンは、1970年代の青春歌謡的なオープニングに始まり全編アップテンポにアレンジされている。オリジナルの情緒は失われているが、エンディングでのスキャットとトランペットの掛け合いが面白い。
『屋根の上のバイオリン弾き』は革命前のロシアに暮らすユダヤ人社会を描いたミュージカル。1964年にブロードウェイで初演、1971年には映画化され大ヒットした。
サントラとは別にオリジナル・ブロードウェイ・キャストによるミニアルバム(1964年)が出ており、これが単体の楽曲として初めて世に出たのものである。これ以降、Eddie FisherやSammy Davis, Jr.やBobby Vintonをはじめ数多くの歌手にカバーされている。
日本では東宝ミュージカルの定番演目として帝国劇場で度々上演されており、森繁久彌、上條恒彦、西田敏行という名優を経て、現在は4代目となるテヴィエ役を市村正親が務めている。
1963年に公開された映画『シャレード』のサウンドトラックからテーマ曲のコーラス版を元にしたもの。
オープニング・クレジットで流れるテーマ曲は、Stan Kenton辺りのビッグバンドがやりそうなキューバン・アレンジによるインストゥルメンタルである。一方、コーラス版はそれとは毛色を変えたムード満点の、ある意味伝統的なミュージカル映画風の楽曲となっている。
本作はそのテーマソングを、他のあらゆるバージョンが控えめに聞こえるほど、大胆にアレンジした作品である。ブラスとティンパニーでガツンと始まるイントロや、飛び回るようなベースと時折入るピチカート・ストリングスが特徴で、疾走感の強い冒険的で攻撃的なジャズ・アレンジとなっている。
映画『シャレード』はケーリー・グラントとオードリー・ヘプバーンを主役にしたサスペンス作品で、ジバンシィが提供したヘプバーンの衣装が話題となった。2002年に「The Truth About Charlie」というタイトルでリメイクされている。
音楽を担当したヘンリー・マンシーニは、1962年に「Breakfast at Tiffany's(邦題:ティファニーで朝食を)」、1963年には「Days of Wine and Roses(邦題:酒とバラの日々)」でアカデミー賞歌曲賞を2年連続で受賞。1964年にも本作で歌曲賞にノミネートされ、3年連続の受賞を期待されたものの受賞には至らなかった。
1970年12月(日本は翌年3月)に公開された大ヒット映画『Love Story(邦題:ある愛の詩)』のテーマ曲をヴォーカライズしたもの。
「Un homme et une femme(邦題:男と女)」や「Les Uns et les autres(邦題:愛と哀しみのボレロ)」などと並んで、Francis Laiの代表作となっており、映画を知らなくてもこの曲をどこかで聴いたことがあるという人が多いだろう。
「Love Story」というタイトルのインストゥルメンタル版に対して、ボーカル版は「(Where Do I Begin?)Love Story」として区別している。1971年3月にはAndy Williamsによるシングルが発売され、Billboard Hot100で9位という大ヒット曲になった。
Andy Williamsはオリジナル英語詞の日本盤と共に、岩谷時子による日本語訳バージョンのシングルも発売し、日本で大ヒットさせている。これらに先駆けて発売されていたFrancis Lai名義によるインストゥルメンタルのシングル(1971年1月)を合わせた3曲が、オリコン・チャートで同時にトップ10入りするという脅威の記録を残した。
映画『Love Story(邦題:ある愛の詩)』は、富豪の息子と庶民の娘との悲恋を描いたもの。エリック・シーガルの小説を原作にしているが、未完の小説と映画が同時進行という変わったプロセスで製作された作品である。
1970年を代表する映画として数々の賞に輝いた作品で、アカデミー賞では7部門にノミネートされ、Francis Laiがアカデミー音楽賞を受賞。ゴールデングローブ賞では7部門にノミネートされ、5部門で受賞している。
ストレートに劇画的で壮大なオリジナルに対し、朱里エイコバージョンは妖艶なエフェクトのギターで始まるアレンジが特徴になっている。
1969年7月に発売されたThe Rolling Stonesのシングルで、UKシングルチャートでは5週連続1位、Billboard Hot100では4週連続1位という大ヒット作。同年にバンドのリーダー格でギター担当のBrian Jonesが脱退、代わりにMick Taylorを迎えて出した最初のシングルである。
ミリオン・セラーの大ヒット作でありながら、これをフィーチャーしたアルバムがないという珍しい作品である(同年9月発売のベスト盤「Through the Past, Darkly (Big Hits Vol.2)」に収録)。その代わりなのかは判らないが、同年12月発売のアルバム「Let It Bleed」に「Country Honk」というタイトルでアコースティック・ギターによるカントリー・バージョンが収録された。
本作は、休暇でブラジルのサンパウロ滞在中に、メンバーであるMick JaggerとKeith Richardsが現地のガウチョにインスパイアされて作ったものと言われている。
シンプルなギターのリフが特徴だが、その肝心の部分が自分のアイデアであると主張するギタリストのRy CooderとKeith Richardの間のトラブルが有名。
また、性的な内容を含むということで、中国で公演をした際には演奏禁止にされたことがある楽曲でもある。
The Rolling Stonesはイギリスのロックバンド。1963年のデビュー以来一度も解散することなく活動を続けている稀有なバンドで、数々の有名アーティストに崇拝される存在でもある。
バンド名の由来は、多くのロック歌手に影響を与えたブルース歌手であるMuddy Watersが1950年に歌った「Rollin' Stone」という曲名に因んでいる。
1966年2月に発売されたThe Temptationsのシングル曲で、BillboardのR&B部門では1位に輝いたものの、シングル・チャートでは29位というスマッシュ・ヒットにとどまった作品である。
リード・ボーカルは眼鏡でおなじみのDavid Ruffinではなく、ファルセットが美しいEddie Kendricksが担当した。
The MiraclesやHuman Natureを率いてのSmokey Robinsonによるセルフカバーのほか、The Supremes、Dusty Springfield、Ella Fitzgeraldによるカバーが知られている。
中でも1970年2月に発売されたRare Earthのカバー・シングルはBillboard Hot100で4位という大ヒットになった。Rare EarthはMOTOWNに所属した白人のロックバンドで、彼らのカバーした「Get Ready」は3分程度のシングル版と、イントロやら間奏がやたらと長い20分を超える長編のアルバム・バージョンが存在する。
英語版wikipediaによると、Smokey Robinsonが「The Duck」によるダンスブームに対するアンサーソングとして作ったとのこと。この「The Duck」とはJackie Leeのヒットソングか、そういう名前のニュー・リズムがあったのかは判っていない。
1971年9月に発売されたThree Dog Nightのアルバム「Harmony」に収録されていた曲。11月にシングルカットされ、Billbord Hot100で4位という大ヒットを記録した。
Three Dog Nightは、ボーカルが3人という変わったスタイルのバンドで、ミュージカル「Hair」のナンバーである「Easy To Be Hard」のほか「Joy To The World(邦題:喜びの世界)」「One」「Mama Told Me(Not To Come)」などカバー曲でのヒットが目立つ。このバンドがヒットさせたことでオリジナルが脚光を浴びるというパターンが多い。
この曲もその一つで、オリジナルはPaul Williamsのアルバム「Just An Old Fashioned Love Song」に収録されていたもの。ジャズやスイングを取り入れたパートと、それらを面白くパロディーにした間奏パート、メインメロディーのフォーク的なパートが複雑に絡んだ曲になっており、ハモンドオルガンをメインにしたシンプルなThree Dog Nightバージョンとは対照的である。
オリジナルのタイトルは「(Just An) Old Fashioned Love Song」。また、Three Dog Nightをはじめとする「An Old Fashioned Love Song」というタイトルの他に、「Old Fashioned Love Song」というタイトルのカバーがあったりと、バージョンによって色々な表記がなされている。
アルバム「Don't Shoot Me I'm Only The Piano Player(邦題:ピアニストを撃つな!)」に先駆けて1972年10月に発売されたシングル曲。
このアルバムのタイトルはCharles Aznavour主演によるフランス映画の『Shoot the Piano Player(邦題:ピアニストを撃て)』(1960年11月、日本は1963年7月の公開)をもじったものである。
それまで繊細でメロディアスな楽曲が多かったElton Johnだが、全く毛色を変えたロックンロール路線にレコード会社は大反対したようだ。しかし、Billboard Hot100では初の1位を獲得、アルバムはBillboardとUKチャート共に1位という大ヒットとなり、人気と実力を見せつけた。
Elton Johnがオーストラリアをツアーしている最中に聞いたDaddy Coolの大ヒット曲「Eagle Rock」にインスパイアされて作られた曲で、リーゼントの青年にポニーテールの女の子といった50年代のロックンロールを連想させる曲調になっている。
歌詞に登場する「Rock Around The Clock」とは1955年にヒットしたBill Haleyの曲で、ロックンロールのブームの嚆矢となった作品。朱里エイコも後年、ライブで披露したロックンロール・メドレーの中に取り入れている。
冒頭に使われている特徴のあるオルガンの音は、Farfisa(ファルフィサ)社のオルガンの音色とのこと。1960年代後半頃から、VOX社のコンチネンタルと共に人気があったコンボ・オルガンである。
ライブ盤「朱里エイコ・オン・ステージ」で歌っていたお得意のナンバーのようだが、ここでスタジオ録音版が初お目見えとなった。
Creedence Clearwater Revivalのヒット曲。Tina Turnerの代表曲でもある曲だが、面白いことに、右写真のIke & Tina Turner時代のシングルは「Honky Tonk Women」とのカップリングになっている。
史上最高のロックギタリストと評価されているJimi Hendrixが謎の死を遂げてから2週間ほど経った1970年10月4日、ロサンゼルスのホテルでJanis Joplinは亡くなった。致死量を超えるヘロインの使用が原因といわれている。
彼女の愛称から名前をとったアルバム「Pearl」のレコーディング中のことで、同アルバムは彼女の遺作となり1971年1月に発売された。
アルバムの中で唯一ジャニス単独で書かれた曲がこの「Move Over(邦題:ジャニスの祈り)」で、愛を求める心の叫びが表現されている。
日本で非常に人気の高い楽曲で、現在でもCMなどで多用され知名度の高さを窺わせる。また当時、日本でのみ本作をA面に収録した追悼シングルが発売されている。諸外国ではシングルカットなしか、あるいはB面収録が多いようだ。
アルバム内の楽曲でただ1曲だけボーカル・トラックを収録していなかった曲があり、インストゥルメンタルのまま収録された。「Buried Alive In The Blues(邦題:生きながらブルースに葬られ)」というタイトルで、冗談のような本当の話である。
また、2011年のRecord Store Day(毎年4月の第3土曜日に全米で開催されるイベント)には、未発表曲やレア・トラック、オルタネイト・トラックを含む、同名のアナログ・ボックスセットが発売されている。
ところで、朱里エイコより一足先に本作をカバーした前野曜子のバージョンが非常に色っぽくて格好いい。1972年に発売されたペドロ&カプリシャスのファースト・アルバム「別れの朝~ペドロ&カプリシャスI」に収録されている。