本作は、2年ぶりとなるペドロ&カプリシャスとのカップリング・アルバムの2作目である。前作は朱里エイコが在籍したリプリーズ・レーベルからの発売だったが、今回はペドロ&カプリシャスが在籍したアトランティック・レーベルから発売された。
また、朱里エイコのアルバムとしては最初で最後の4チャンネル・ステレオ作品となっている。
以前に発売された「ペドロ&カプリシャス・朱里エイコの世界 華麗なるニュー・ポップスの彗星(1972年7月)」とは違って、A面がペドロ&カプリシャス、B面が朱里エイコときっちり分けて収録されている。
この頃のペドロ&カプリシャスは、前野曜子の脱退後、新しいボーカルに高橋まり(現・髙橋真梨子)を迎え、「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などの大ヒットで人気絶頂であった。
このアルバムに収録されるペドロ&カプリシャスのカバー曲は、それぞれアルバム「華麗なるニューポップスの世界」(1973年)とアルバム「ワンス・アゲイン」(1974年)が初出。また2枚組のアルバム「お気に召すまま」(1974年)ではこれらを一度に聞くことができる。
このレコードは、4チャンネル完全分離(ディスクリート方式)で記録されたCD-4という形式のもの。従来の2チャンネルのレコードとの互換性を考慮した規格である。4チャンネルでの再生にはディモジュレータ(復調器)やシバタ針など専用のレコード針と高価なアームコードが必要で、通常のレコード針と針圧で再生するとリアチャンネルの音溝がつぶれてしまうなどのデリケートさから、あまり普及しなかった。
ライナー記載のクレジットの不正確さは相変わらずである……。
1973年3月に発売されたペドロ&カプリシャスの4枚目のシングルである。前作「そして今は」を発売後メインボーカルの前野曜子がグループから脱退・渡米したため、ボーカルに高橋まり(現・髙橋真梨子)を迎えての新生・ペドロ&カプリシャス第1作目のシングルとなった。
デビュー・シングルである「別れの朝」を上回るヒット曲を、ということで歌詞や音楽の趣向を凝らして作られた洒落たムードの作品である。これは阿久悠と都倉俊一のコンビ・プロジェクトによるもので、山本リンダやピンク・レディーと並んで、ペドロ&カプリシャスの一連の作品を抜きに語ることは出来ない。
またこの曲は、オリコン最高位こそ24位だったが、1年近くチャートにランクインし続けた息の長いヒット曲である。翌1974年の第25回紅白歌合戦にはこの曲で初出場している。
髙橋真梨子は当時、その美しいストレートヘアの容貌と抜群の歌唱力から、"歌う紫式部"と呼ばれて人気があった。2013年、「桃色吐息」(1984年)で出場して以来29年ぶりに紅白歌合戦に出場、ヒット曲「For you…」を歌って紅組のトリを飾った。
ペドロ&カプリシャスの5枚目のシングル曲である。オリコン最高18位と前作「ジョニィへの伝言」を上回るヒットとなった。また、軽妙で小洒落た雰囲気もさることながら、前作同様オリコンランキング最高位よりもチャートインの期間が長いのが特徴のヒット作である。
語られる人物について間接的な描写しかされていないため、情景の多くを聴く人の想像に委ねるといった、むしろ行間に主題が詰め込まれているようなアプローチが魅力となって聴くものの心を惹きつける作品である。これは「ジョニィへの伝言」と同じことが言えるだろう。
「ジョニィへの伝言」の続編やアンサーソングとも取れる内容であるが、それも全て聞き手の想像に任せているといった雰囲気がある。
また、メイン・メロディの一部が、ローモンド湖というスコットランド地方にある湖を歌った民謡「The Bonnie Banks O' Loch Lomond」という曲に酷似しているということが話題になった。一瞬だが、確かによく似ている。
ペドロ&カプリシャスの7枚目のシングル曲で、明るく軽快なリズム歌謡である。前作にあたる、美しいオーケストレーションによるバラードの「わたしは旅人」を飛ばして、1974年11月に発売されたばかりの新曲が収録された。
――明日はどうなるか 誰もわからない
爽やかで軽快な曲調が、歌詞の中にある"生まれ変わるわ"というフレーズを後押ししている。恋に破れ故郷に出戻った女を描いたものだが、サード・シングルの「そして今は(NOW)」のような未練は感じられない、希望に満ちた作品である。
「ジョニィへの伝言」から始まった、ヒット・メーカーである阿久悠と都倉俊一コンビの作品はこのシングルまでとなった。結果ありきの想像だが、作者からグループへの餞別的な匂いがしなくもない。
言わずと知れた、Carpentersの大ヒット曲で、元々は1973年5月(日本は翌6月)に発売されたアルバム「Now And Then」のB面に収録されたオールディーズ・メドレーのオープニングとエンディング的に配置されていたコンセプト的な曲である。その後「Sing」に続くシングルカット第2弾として発売され、世界的なヒットを記録した。Billboard Hot100では2位、イージーリスニング部門では1位、UKチャートでは2位、オリコン・シングル・チャートでは最高5位、オリコンの洋楽チャートでは1位の座になんと26週に亘って君臨、日本におけるカーペンターズ最大のヒット曲となった。
また、Karen Carpenterの突然の死から1年後の1984年に発売された2枚組みのベスト・アルバムには、本作のタイトルが付けられた。アメリカでは200万枚を超える売り上げを誇り、イギリスや日本でも30万枚という大ヒットアルバムとなった。1993年にCDで再発売された際も世界的にヒットした作品である。
共作のJohn Bettisとは、Richard Carpenterの大学時代からの友人で、Carpentersのオリジナル曲の歌詞のほとんどが彼の作品である。
本作ではペドロ&カプリシャスのメンバーで、フルートやサックスを担当しているヘンリー広瀬がアレンジを務めている。グループ脱退後はソロ歌手になった高橋真梨子をプロデュースし、「桃色吐息」「はがゆい唇」「ごめんね…」などの大ヒット曲を生んだ。1993年には高橋真梨子と結婚している。
前のトラックである「Yesterday Once More」と同じく、Carpentersのアルバム「Now And Then」に収録されたもので、ペドロ&カプリシャスによるカバーはこのCarpenters版に近い内容になっている。
オリジナルの「Jambalaya (On the Bayou)」は、Hank Williams晩年の1952年の作品である。Hank Williamsは、翌1953年に29歳の若さで亡くなった早世のカントリー歌手。MGMレコードと契約してから亡くなるまでの5~6年間の間に、ビルボードのカントリー・ウェスタン・チャートの1位獲得または10位以内に入ったシングルは30枚と驚異的な記録を残している。
同じく1952年にJo Staffordのカバーがヒットしたことで、カントリー・ソングの垣根を超えてポピュラーとして認知された。その後はコンスタントに様々な歌手がカバー、1972~1973年頃には、Shocking Blue、Creedence Clearwater Revival、Carpentersらがそれぞれのスタイルでカバーしてヒットさせている。どのカバーも時代に合わせてテンポアップしたアレンジになっている。
小松原正は、この曲の他にペドロ&カプリシャスのカバー曲「We've Only Just Begun(邦題:愛のプレリュード、元々は銀行のCMソングだった曲をカーペンターズが歌った)」のアレンジャーとしてもクレジットされている。松坂慶子の代表曲である「愛の水中花」を作曲した小松原まさしと同一人物なのかは判っていない。
ちなみに、ジャンバラヤとはピラフやパエリアのようなケイジャン料理のことである。
Aztecaが1972年に発表したファースト・アルバム「Azteca」に収録されている曲で、強烈なリズムと疾走感が特徴のラテン・ファンクである。Aztecaは、サンタナのバンドから脱退したパーカッショニスト兄弟であるCoke EscovedoとPete Escovedoが中心になって結成した大所帯のバンドで、ラテン、ロック、ジャズ・フージョンを得意とした。
オリジナルは、イントロからドラムとベースにブラスが加わってくるという構成で、これに対して、ペドロ&カプリシャス版では管楽器パートを大胆に省略した。関森清のキーボードとペドロ梅村のパーカッションから始まって、古城マサミのギターと佐渡岩男のベースが絡んでくるという、これまた格好いいアレンジになっている。途中、ヘンリー広瀬のバス・フルートだろうか?のソロパートも聴きどころである。
本作は、どちらかというとインストゥルメンタル的な作品で、数少ない歌詞部分とコーラス・パートをメンバーの男性陣がメインで歌っているという珍しい作品である(リード・ボーカルは不明)。ラテン・ロックを得意とするペドロ&カプリシャスにとっては面目躍如とでもいうべき、本領を見せつける作品となっている。