ミニ・アルバム「DELUXE4 心の痛みほか」と同時発売されたペドロ&カプリシャスとのカップリング・アルバムで、ワーナー・パイオニア期待のポップス・シンガーである前野曜子と朱里エイコの声を一度に楽しめるアルバムとなっている。
盤は1枚だが見開きジャケットで、ライナーが別紙の封入ではなくジャケット内側の2面に印刷されているタイプである。そのライナーには、歌詞の他に朱里エイコとペドロ&カプリシャスのメンバーのプロフィールが本名・生年月日・出身地まで記載されている。各曲のアーティスト名が一部間違っていたので勝手に修正して掲載した。
ペドロ&カプリシャスの楽曲は、大ヒットシングル曲に加えてアルバム「別れの朝」「さようならの紅いバラ」からのセレクト。
朱里エイコはヒット中の「北国行きで」「心の痛み」、またファースト・アルバム「これから始まるなにか」のカバー曲を収録。「北国行きで」のB面曲「時の流れにのこされて」については、ワーナー・パイオニアから発売されたLPのアルバムとしては初めて、かつ唯一の収録となっている。
ペドロ&カプリシャス3枚目のシングル。同様の別れ歌である前の2作とは毛色を変えた爽やかな曲調で、軽快なリズムとシンプルなハモリが逆に別れの歌詞を引き立てている。
前野曜子をボーカルとするペドロ&カプリシャスのシングルはこの作品までとなっている。
オリジナルはConnie Smithの「Back In Baby's Arms」というアルバムに収録されている「NOW」というカントリー調の曲である。モノによっては、作詞・作曲がP.PaulとS.Herbertだとか、作詞:安井かずみ、作曲:B.Golveyと表記されていて混乱する。
ところで、「そして今は」というと、Gilbert Becaudの「Et Maintenant」(1961年)の邦題とかぶるが、これは全くの別物。日本人が大好きなボレロ調のシャンソンで、英語版は「What Now My Love」というタイトル。Frank SinatraやElvis Presleyなど錚々たる歌手たちにカバーされており、日本では越路吹雪ほか多数の実力派歌手に歌われている。
1975年発売のペドロ&カプリシャスのアルバム「ポピュラー・ルネサンス」に収録されている「そして今は」は、併記の英語タイトルが「What Now My Love」なので、こちらの曲を歌っているのだろう。
ペドロ&カプリシャスの2枚目のシングル。チェンバロを使ったシリアスな曲調の別れの曲だ。
Frank Sinatraの「My Way Of Life」(邦題:君だけに生きて、1969年)がオリジナル。どちらが先かはわからないが、作曲をしたBert Kaempfertは自身の楽団でインストゥルメンタル版をよく演奏したようだ。
Bert Kaempfertといえば、日本でも沢山の歌手にカバーされている「Danke Schön」(Wayne Newton、邦題:ダンケ・シェーン、1963年)や「Strangers In The Night」(Frank Sinatra、邦題:夜のストレンジャー、1966年)が有名。ちなみに、代表曲「Strangers In The Night」には更に「Broken Guitar」というタイトルのオリジナルがあるようだ。これは、葉巻のブランド名としても知られているベイルート出身のジャズ・ピアニスト・Avo Uvezianによる曲である。
ペドロ&カプリシャスのデビューシングル。発売後いきなり4週連続でオリコン1位を獲得、50万枚以上を売り上げ、グループ最大のヒット曲となった。
オリジナルはUdo Jürgensの「Was Ich Dir Sagen Will」(邦題:夕映えのふたり、1967年)だ。前野曜子が英語バージョンを歌って反応が良かったために訳詞をつけたという話があることから、彼らはこの曲を歌うにあたってMatt Monroのカバー版「The Music Played」(1968年)を元にしたのかもしれない。……と思ったら、サブタイトルが「MUSIC PLAY」なので明白だった。
朱里エイコと前野曜子では、色気のある歌声というポイントで見ると、前野曜子のほうに軍配が上がるだろう。アルバム「別れの朝」に収録されている前野曜子の「マミー・ブルー」はセクシーなボーカルがとても素敵な楽曲となっていて、それがよく判る。是非比べて聴いてみて欲しい。
朱里エイコは後に「ラスト・タンゴ・イン・パリ」など色っぽいポップスやお色気歌謡などに挑戦しているものの、やはり本領発揮をするのはカラっとした陽気な作品のように思われる。
1972年1月に発売されたよしだたくろう(吉田拓郎)のシングル曲で40万枚を売り上げた大ヒット作である。また、プロテスト・ソングの意味合いが強かったフォーク・ソングの転機となった作品である。
――僕の髪が肩までのびたら結婚しよう
この1フレーズ込められた60~70年代の若者の思想の変遷については、阿久悠をはじめ沢山の有識者が論じており、Wikipediaの「吉田拓郎」や「結婚しようよ」の項目に詳しく書かれている。
評論家・寺島実郎の「政治の季節が終わった」というコメントが印象深いが、学生から社会人への転機、あるいは結婚など、大人として何かしらの責任を負い始める中での、青春との訣別の意味合いを感じずにはいられない。
成人の自由結婚云々は抜きにして、今も昔もよその家のお嬢さんを嫁に迎えるにあたっては、男性は髪を切って小奇麗なスーツを着て相手の両親に会いに行かなければならない。
これは、フラワームーブメント以降大増殖したヒッピー風の小汚い長髪の若者というものに対するアンチテーゼといえるだろう。
オリジナルの「Tombe La Neige」は1963年に大ヒットしたSalvatore Adamoの曲である。1967年の初来日以来、30回以上もの来日公演を行っており、親日家としても知られている。
初期のヒット作、「Sans Toi Mamie」や「Mes Mains Sur Tes Hanches」(邦題:夢の中に君がいる)などは越路吹雪のカバーで有名。
朱里エイコも後にアルバム「SUPER SELECTION TODAY」(1973年11月)の中でこの曲を歌っている。「マミー・ブルー」と併せて前野バージョンと朱里バージョンの聞き比べをしてみるのも面白い。
Bobby Darinの「Things」(1962年)がオリジナル。アレンジなどの点から、ペドロ&カプリシャスのカバーはDean MartinとNancy Sinatraがデュエットしたものが元になっていると思われる。
Dean Martinといえば、Jerry Lewisとの「底抜けコンビ」のほか、Judy Hollidayと共演した映画『Bells Are Ringing』(日本未公開)、2001年にリメイクされたシナトラ一家の映画『オーシャンと十一人の仲間』が有名。
Nancy SinatraはFrank Sinatraの愛娘。彼女が主題歌「You Only Live Twice」を歌った映画『007は二度死ぬ』は日本が舞台で、名車TOYOTA 2000GTやボンドガールを演じる浜美枝の美貌が話題になった。
1971年にカナダの歌手・Claude Valade(Claudia Valade)が歌った「Pour Un Homme」がオリジナルである。彼女はこの曲で第1回東京音楽祭の世界大会に出場、最優秀歌手賞を獲得した。
ちなみに、同世界大会でグランプリを受賞したのは雪村いづみの「わたしは泣かない」だった。
東京音楽祭と言えば、第7回(1978年)に朱里エイコが「ジョーのダイヤモンド」で国内大会に出場しゴールデン・スター賞を受賞している。
作曲のFrancis Laiは、映画音楽を主に作曲するフランスの作曲家である。「Un homme et une femme(邦題:男と女)」「13 jours en France(邦題:白い恋人たち/グルノーブルの13日)」「Love Story(邦題:ある愛の詩)」「Les Uns et les autres(邦題:愛と哀しみのボレロ)」がよく知られている。