1998年、ブルース・インターアクションズ(現・Pヴァイン)からキングレコード時代の音源を全て収録したアルバムが発売された。未発表音源9曲を加え、24曲71分超という恐ろしく贅沢な内容である。この完璧なコレクションのせいで、ワーナー・パイオニア時代の"全曲集とはいえない"全曲集がより見劣りして見えた。
ライナーには、一部不鮮明なものもあるが全てのジャケット写真が掲載されている。そのほか田辺エイコ時代のことに触れたプロフィールや、いかにキングレコード時代の朱里エイコのレコードがレアであったかということが書かれている。
確かに、今は無くなってしまった新宿の某中古レコード屋の壁の高い場所に、高額な値札と共にうやうやしく掛けられていた朱里エイコのレコードを恨めしく眺めたものである……私事で失礼。失礼ついでだが、このCDがなければ拙サイト「Little Dynamite 朱里エイコ」は誕生しなかった。企画・発売に携わられた諸氏に心からの感謝の気持ちを捧げたい。
お蔵入り音源第1弾は、ムード満点のスローなボサノバである。ライナーのクレジットでは作詞・作曲が不明、訳詞・編曲が森岡賢一郎とのこと。
JASRACには朱里エイコの楽曲として、作詞:安井かずみ/作曲:森岡賢一郎で「しらない歌」という曲が登録されており、この曲のことだと思われる。
録音からレコードのプレス・リリースまでどのくらいの期間がかかるのかは分からないが、1967年3月13日録音ということはさすがにデビュー・シングル(1967年4月10日)のための録音ではないだろう。2枚目のシングル「ジ・エンド・オブ・ラブ/マシュ・ケ・ナダ」のB面候補として録音されたもの、ということになるのだろうか。
未発表曲の中では最も古い録音。ピアノのアドリブ演奏や低音のフルートがなんともいえないボサノバ調のお洒落なバラードになっている。デビューシングル、あるいはセカンドシングルの候補曲として録音されたものだろうか。
ブラジルから飛び出したボサノバは、Astrud Gilbertoの「The Girl from Ipanema」に始まり、Sergio Mendes & Brasil '66のヒットなどで世界的にメジャーな音楽となっていた。デビュー当時はこのボサノバ路線で行こうという感じだったのだろうか。
ポップスの第一線を賑わせていたボサノバは、1969年頃のベトナム反戦ムーブメントで台頭してきたフォークやサイケロックやラテンロックにその地位を取って代わられた。リバイバルやアーカイブス化という概念が定着している現在と違って、少しでも前の流行りものは良い物でも古臭いと切り捨てられていた感がある。ボサノバも例外ではない。
過去に時令二氏ご本人から直接メールをいただいた覚えがあるが、データが飛んでしまっているのでどんなやり取りをしたのか忘れてしまった。キング時代のというよりも、そもそも朱里エイコについての知識がほとんどなかった頃で、まともなご返事を差し上げることが出来なかったのは確かである。
イントロがそのまま加山雄三の「君といつまでも」につながっていきそうな感じだ。イメージ的には日活の青春映画のテーマソング的な感じだろうか。ドラマチックな曲に朱里エイコの骨太な歌唱がマッチしている。こんなものを出されたら顔だけのアイドル歌手は商売上がったりだっただろう(売れていればの話だが)。
この曲は本腰を入れて候補曲として録音されたものではないのだろうか?ベースの音に気合が入っておらず、薄っぺらいうえに下手だ。
ブラスのイントロで始まる、ノリの良いブルース調の曲。
小林亜星が初めてCM以外で朱里エイコを手がけた曲ということになるのだろうか。ちなみに、「イエ・イエ」のCMバージョンと不二家パラソルチョコレートのCMソングの2曲が「小林亜星CMソング・アンソロジー」というCDで聴くことができる。
時期的にキング・レコード最後のシングルとなった「恋のブラックカード/沈む夕陽は止められないの」あたりとレコード化を争ったものだろうか。「恋のブラックカード」と同様、ご無沙汰だったパンチ唱法が聴くことができるという点で合点が行く(勝手に)。
GS歌謡っぽい曲調でセルフ・ハモリはどんな曲もザ・ピーナッツに聞こえる。可愛らしい小品だが、聴けば聴くほど"ノッポちゃん"や"青山・六本木"という歌詞と、主張しなさすぎなフルートの演奏が気になってクセになる曲だ。
柴野未知は、 ザ・スパイダースのアルバム「ザ・スパイダースの大進撃」、敏いとうとハッピー&ブルーや岡崎広志が歌った「グッドバイ・マイラブ」の作詞、Gigliola Cinquettiの「雨」やMichel Polnareffの「シェリーにくちづけ」の訳詞などで名前を見ることができる。
ライナーでは作曲・編曲とも柴野未知と記載されている。
大ヒット作「北国行きで」を作詞した山上路夫が初めて朱里エイコに歌詞を提供した作品(「三人三羽」はドラマ主題歌)。作曲は師匠いずみたくで、ワーナー・パイオニア時代の「恋の衝撃」「あなたの勝ちだわ」はこのコンビによるもの。軽快で可愛い曲だが、朱里エイコのカラーではないのか、あまりピンとこない。
佐良直美が歌いそうな感じがするが、それもそのはずで、デビュー曲「世界は二人のために」は山上・いずみコンビの作品。レコード大賞(第11回)を獲った「いいじゃないの幸せならば」は岩谷時子といずみたくによるもの。いずみたくは1974年頃まで佐良直美に沢山の曲を提供している。
1970年、朱里エイコは年明け早々に長期渡米のため日本を後にする。勝手な推測だが、もしかしたらこれは結果的にキングレコード最後のシングルとなってしまった「恋のブラックカード/沈む夕陽は止められないの」の次回作候補として録音されたものなのではないだろうか。
JASRACでの登録は「ラブリー・ガール/LOVELY GIRL」となっている。
歌のモデルとなったエロイーザ
女性シンガーが歌う場合は「The Boy from Ipanema(イパネマの少年)」とすることがあるようだ。タイトルこそ「イパネマの娘」となっているが、朱里エイコもそのように歌っている。オールスター・レオンの演奏だろうか、間奏のサックスが色っぽい。
オリジナルの「Garôta de Ipanema」はイパネマ海岸近くにあったバー「Veloso」(現在はレストラン「Garota de Ipanema」)で新曲の打ち合わせをしていたVinícius de Moraesと Antônio Carlos Jobimが、店の前を通りかかった美少女エロイーザを見て、彼女からインスピレーションを受けて作ったと言われている。この2人に加え、ギター1本でパーカッションのようにサンバのリズムを奏で、ささやくように歌うというボサノバのスタイルを生み出したJoão Gilbertoによって、コパカバーナのナイトクラブで初披露された。
1964年、João Gilbertoとアメリカのサックス奏者Stan Getzの共作「Getz/Gilberto」からシングルカットされた「イパネマの娘」は、ポルトガル語で歌ったボーカル部分を妻・Astrud Gilbertoが試験的に英語で歌ったものに差し替えて発売され、大ヒットとなった。このことは英語が喋れないJoão Gilbertoには知らされていなかったそうだ。
こういった底抜けな明るい曲こそ朱里エイコの面目躍如といった感がある。ミュージカルのタイトル曲「Mame」はBobby Darinの歌唱やHerb AlpertやLouis Armstrongの演奏が有名。オリジナルはコーラスによるもので、他のアーティストも軽快に歌っているものが多いが、朱里エイコバージョンはやたらとパワフル、まさにパンチがあるといった感じで、黒人アーティストのような歌いぶりである。
1956年、その前年に発表されたPatrick Dennisの小説『Auntie Mame』を下敷きにした『My Best Girl』というブロードウェイ劇がRosalind Russellを主役に作られ、1958年には映画化もされている。1966年にはJerry HermanによってAngela Lansbury(ジェシカおばさんやスイニートッドで有名)を主役にして『MAME』としてミュージカル化された。1974年にはLucille Ballの映画版が制作されている。
オリジナルは1964年にPetula Clarkが歌った大ヒット曲で、日本では「恋のダウンタウン」という邦題で発売された。甲山紀代、弘田三枝子、南沙織などがカバーしている。
朱里エイコのバージョンはアップテンポにアレンジされている。間奏の♪ダウンタウン~というところが可愛らしい。朱里エイコ自身の掛け声が入っていてライブっぽい感じに仕上がっている。
この音源について。
このCDは国会図書館の新館1階にある音楽・映像資料室で聴くことができます。資料の利用には許可申請が必要です。また、Amazonのマーケットプレイスや、ヤフオク!などを利用すれば比較的簡単に入手できます。