※右の写真は決定稿になる前のジャケットデザインだろうか。
簡素な紙袋に直接印刷されたもので、レコードジャケットがすっぽり収まるサイズ。表面はオリジナル版、裏面には朱里エイコ版のジャケット写真が印刷されている。オークションサイトでは宣伝用袋として出品されていた。
LONDONレーベルのスリーブ。
英DECCAや米LONDONの洋楽を配給していたキングレコードだが、このシングルから朱里エイコは日本でのLONDONレーベルの女性歌手第1号となる。
この移籍は、A面で、かつ洋楽カバーの「ハバナ・アンナ」を売り出すための戦略だったのか、単に彼女の得意とするものや持ち味によるジャンル整理だったのか、はたまたただの話題作りだったのは定かではない。
ニューリズムとして売り出していたブーガルーに対抗したハバンバを取り入れたのがこの「ハバナ・アンナ」だ。あまりにあっけらかんとしすぎてピンとこない。一方陰のあるブーガルーのほうがこの時期のイメージという感覚がある。
昭和を1年単位で紹介した番組、NHK『日めくりタイムトラベル』ではクレイジーケンバンドの横山剣が作った「かっこいいブーガルー」という曲が挿入曲として使われた。
1968年の夏、各レコード会社はニューリズムとして5つのリズムをフィーチャー。シャロック(中尾ミエ)、フリフリ(山本リンダ)、チャカブン(江美早苗)、ハバンバ(朱里エイコ)、ブーガルー(寺内タケシとバニーズ)という5つのリズムが紹介された。
各年代のニューリズムについてはこのページが詳しいので参考まで。
ジャケット裏面では、ハバナ・ステップ(ハバンバ)のステップが図解されており、モデルはオリジナルの日本版ジャケットの表紙を務めた杉本エマ。
オリジナルであるThe Crocheted Doughnut Ringの日本版のジャケット裏面では、おヒョイさんの愛称で有名な俳優の藤村俊二と杉本エマの対談という形で振付が紹介されており、会話の内容から藤村俊二の振付というのが判る。彼は東宝芸能学校の舞踊科第1期生で日劇ダンシングチーム(NDT)出身。その後は振付家に転向、さらに俳優・タレントとしても活躍した。
オリジナルはThe Crocheted Doughnut Ringの同名曲(1967年12月29日発売)、朱里エイコのバージョンに比べて重たい感じの曲になっている。
明るく簡単なメロディーが繰り返されるだけなので、雰囲気を楽しむといった感じの曲。単純な分、歌うほうにとっては難しい曲だったのではないだろうか。
「アナグラでブーガルーを踊るより、海岸でハバナ・ステップのほうが何十倍も健康によろしい」と音楽雑誌で紹介されている。
TBSの「あの人は今!夢の紅白歌合戦(2003年2月12日放送)」では、この曲のプロモーションをする彼女の水着姿を映したニュース映画が流された。
The Crocheted Doughnut Ringは1967~1969年に活動したイギリスのグループで、発表した楽曲はシングル4枚で計8曲のみとなっている。
メンバーはGeorge Bird(Bass)、David Skates(Drums)、Bert Pulham(Lead Guitar)、Richard Mills(Guitar/Vocal)、John Chappell(Keyboard)の5人。
作詞・作曲のLeopoldとTrueloveは、The Crocheted Doughnut Ringの「Two Little Ladies (Azalea And Rhododendron)」という曲にもクレジットされている。とある作家の変名なのか、人物に関することは一切判らない。
本作はレコード・マンスリー1968年7月号で「愛の願い(炎の恋)」というタイトルで告知されているが、発売直前に「クレイジー・ラブ」と改題された。
ミッチー・サハラが「聞いてよ、お願い」というアルバムの中で歌った「愛の願い」(1966年)がオリジナルで、ゴーゴーガールが後ろで踊っていそうな雰囲気の作品になっている。
ミッチー・サハラ版はクロマティック・ラン(テケテケテケ~のあれ)が使われているようなベンチャーズ・サウンドを強調しているのに対して、朱里エイコ版はよりテンポを落としたGS歌謡になっている。
普通のカバーとは違って、タイトルを変えてカバーというパターンは割とありそうでなかなか思いつかない。
よくあるのは、売れなかったモノを同じメロディーでタイトルと歌詞を変えて焼き直すという改作。すぐに思いつく代表例と言えば、阿久悠・筒美京平コンビによるズーニーヴー「ひとりの悲しみ」→尾崎紀世彦「また逢う日まで」。更に古くは、古賀政男が作曲した藤山一郎「都に花の散る夜は」→青木光一「さらば青春」→五木ひろし「浜昼顔」というものから、YMOのメンバーとして有名な高橋ユキヒロが作曲したRajie「偽りの瞳」→ピンク・レディー「Last Pretender」などが挙げられる。
Kim Familyのライブ盤から
ちなみに、オリジナルを歌ったミッチー・サハラは、1961年13歳という若さでハーフの美少女歌手としてデビューした人である。
朱里エイコと同じキングレコードの所属歌手で、1964年には自ら作詞作曲した「聞いてよ、お願い」を発売するなどシンガーソングライターの先駆けとしても活躍した。
右の写真は1970年に発売されたKim SistersとKim Brothersがハワイのアウトリガー・ワイキキで行ったライブを収録したLPに掲載されていた写真で、手前に映っているのがミッチー・サハラ。
Kim Brothersは有名なKim Sistersの弟たちで構成され、1964年に単身渡米した朱里エイコが専属歌手として活動していたグループである。
この音源について。
この音源を収録しているCD「朱里エイコ★イエ・イエ レイト60's東京モッド・ガール・コレクション(2)」は国会図書館の新館1階にある音楽・映像資料室で聴くことができます。資料の利用には許可申請が必要です。CDは廃盤になっていますが、AmazonやYahoo!オークションなどで比較的簡単に入手できます。