シングル「見捨てられた子のように/愛のサンセット」をフィーチャーしたもので、タイトルの通りオリジナルのスタジオ録音としては3作目のアルバムとなる。
A面はすべてオリジナル曲となっており、かまやつひろし、阿久悠、都倉俊一、安井かずみ、服部克久など豪華作家陣を起用。中には母・朱里みさをが作詞した作品も。B面は定番の洋楽カバーで、前作までと比べて、ロック色がやや強くなってきている。
また、前年末に公開された映画『喜劇 快感旅行』の劇中で歌われたためか、「恋の衝撃」が再収録されている。オリジナル曲、カバー曲ともにシリアスまたはヘビーなものが多いので丁度良いクッションになっているかもしれない。
彼女の強い歌唱は洋楽・邦楽を問わずストーリー性やメッセージ性の強い楽曲が良く似合う、というのがよく分かるアルバムになっている。
前年に「北国行きで」が大ヒット、念願の紅白歌合戦に出場を果たしノリノリのはずが、1973年2月に公演中に失踪騒ぎを起こし、同時にマネージャーである渥美隆郎氏との恋愛問題(当時は大問題だった)というスキャンダルを起こしてしまう。このアルバムは、そんな朱里サイドがてんやわんやの中で製作・発売されたものである。
ムッシュかまやつ
母・朱里みさをが作詞した最初で最後の作品である。作曲はかまやつひろし。楽曲のアレンジは、朱里エイコがキングレコード在籍時にほとんどの作品を手がけた森岡賢一郎が久々に担当した。
ディストーションのかかったギターのオブリガードや、ブラスセクションやハモンド・オルガンが特徴。いわゆるブラス・ロックに近い作風だが、一方でサイケデリックな要素も持ち合わせている。また、ボーカル・トラックのエコーの強さや、エンディングの展開などはGS歌謡を思わせるという不思議な作品になっている。
作曲を担当したかまやつひろしは、日劇ウェスタンカーニバル、ザ・スパイダーズなどの活動が有名。父がジャズシンガーのティーブ釜萢、いとこが森山良子、親戚には音楽家が多く芸能一族である。清水ミチコが「歌のアルバム」の中で「この凄い血筋いっぱい」という歌でネタにしているほど。
前年1972年の大ヒット映画『キャバレー』にインスパイアされた内容だろうか。エンディングで曲調が変化、ボブ・フォッシーに代表されるモダン・ジャズの振り付けが似合いそうなミュージカル的なノリになっている。
ちなみに映画『キャバレー』の劇中で主演のライザ・ミネリが歌う同名の主題歌は、朱里エイコお得意のレパートリーでもあった。ライブ盤「朱里エイコ・オン・ステージ」や「LAS VEGAS HERE I COME」で聴くことができる。
この作品は、阿久悠と都倉俊一が初めて朱里エイコに楽曲提供した作品になる。彼らは同時期、イメージチェンジを図った山本リンダをプロデュースし、「どうにもとまらない」「狙いうち」ほか多数のヒット曲を世に送り出していた。翌1974年には、髙橋真梨子を迎えた新生ペドロ&カプリシャスに「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」などの楽曲を提供、大ヒットさせている。
この曲のイントロがピンク・レディーの大ヒット曲「カルメン'77」や「レディーX(「UFO」のB面曲)」に似ているのは、同じ都倉俊一による作品なので当然のこと。原型がここにあったのかと思うと感慨深いものがある。
口笛やストリングスのスタッカート使いがかわいらしい、軽快でオシャレな曲である。その軽快なメインパートと伸びやかなサビが対照的で、更にエンディングはこれまたミュージカル的なノリ、という1曲の中で色々な雰囲気が楽しめる作品になっている。
全くの私見ではあるが、朱里エイコの楽曲ラインナップの中では異色の部類に入る作品である。歌謡祭入賞を狙っているような"いかにも感"がそう思わせるのだろうか。
日本歌謡祭'72は、ヤマハ主催で1969年に始まった合歓ポピュラーフェスティバルの第4回目になる。この年からイベント名を改め東京宝塚劇場で開催されたものの、これが最後の開催となった。朱里エイコは前回に引き続いての出場となった。
歌謡祭では布施明と並んで歌唱賞を受賞。審査員グランプリには岡崎広志「悲しみを忘れて」、参加作曲家グランプリにはクニ・河内「透明人間」が選ばれた。
1965年初演の大ヒット・ブロードウェイ・ミュージカル『Man of La Mancha(邦題:ラ・マンチャの男)』の中盤とラストのリプライズで歌われるナンバーである。
「ラ・マンチャの男」とは、ミゲル・デ・セルバンテスの小説『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(通称:ドン・キホーテ)』を原作とするミュージカル。日本では帝国劇場で上演される東宝ミュージカルの定番のラインナップで、1969年の日本初演から主役を務めている松本幸四郎(当時は6代目市川染五郎)のライフワークとなっている。
このアルバムが発売される前年の1972年には映画化され、主役には『アラビアのロレンス』で有名なPeter O'Toole、相手役には『ひまわり』が大ヒットしたばかりのSophia Lorenがキャスティングされた。
ブロードウェイ初演の翌1966年には、バカラック作の「Wives And Lovers(邦題:素晴らしき恋人たち)」で知られているJack Jonesがカバーしヒット。後に彼自身もミュージカルでドン・キホーテ役を演じている。
オリジナルは、1972年に発売されたカントリー・ソウルの歌手であるArthur Alexanderのアルバム「Arthur Alexander」に収録された作品である。
Arthur Alexanderといえば、ビートルズがカバーした「Anna (Go to Him)」や「Where Have You Been All My Life」、ローリング・ストーンズがカバーした「You Better Move On」が知られている。
同年8月にElvis Presleyがカバー、Billboard Hot100で2位にランクインするという大ヒットとなった。彼にとっては最後となるチャートのトップ10入りを果たした曲で、「Suspicious Minds」(1968年)と並んで後期の代表曲となっている。
Elvis Presleyは、悪名高いマネージャー(パーカー大佐)が結んだ長期に亘る(1960~1969年)映画出演契約のため、本来の歌手活動ができない状態が長く続いた。契約終了以降は精力的にライブ活動をこなし、歌手としてカムバックを果たした。
彼の代名詞にもなっている、高い襟にフリンジのついた袖、そしてラッパズボンのジャンプスーツという派手な衣装は、ウィング・スーツと呼ばれ、この時期の定番スタイルである。
Chicagoが1972年7月に発売した5作目となるアルバム「Chicago V」に収録した作品。シングルはBillboard Hot100で3位を記録し、グループにとって始めてのミリオンセラーとなった。
日本では三菱地所のマンション「パークハウス」のCM曲として、Bobby Caldwellのカバーが長い間使用されていたのが印象的。
Chicagoはロックにブラスを取り入れた先駆的なバンドのひとつであり、結成以来解散することなく現在も活動している。代表曲として、本作のほかに「25 or 6 to 4(邦題:長い夜)」、70年代半ば以降のラブ・バラード路線の「If You Leave Me Now(邦題:愛ある別れ)」「Hard To Say I'm Sorry(邦題:素直になれなくて)」「Look Away」などが知られている。
それまで政治的なメッセージを含んだ楽曲が多かったシカゴだが、このアルバムからはポップス寄りな作風へとシフトしている。といってもそのメッセージ性が完全に失われたという訳ではなく、平和でのどかな土曜の公園の情景とアメリカの独立記念日というキーワードを通して反戦を訴えかけた作品になっている。
反戦と言うのは当然ベトナム戦争についてのこと。歌詞に出てくる7月4日の独立記念日が土曜日なのは1970年7月4日、米軍と南ベトナム軍がカンボジアに進攻した直後のことである。
1971年(月不明)に発売された、アイルランド出身のシンガー・ソングライターであるGilbert O'Sullivanのファースト・アルバム「Himself」に収録されていた作品で、正式名称は「Alone Again (Naturally)」。ちなみに、収録されていたのはUS盤のみで、UK盤をはじめ各国で発売されたバージョンのアルバムには収録されていない。
翌1972年にはシングルのみで発売され、世界的に大ヒットした。
牧歌的な曲調の一方で、また独りになってしまった……というヘビーな人生を綴った歌詞とのギャップがこの作品の魅力になっている。
Gilbert O'Sullivanは、この曲の他に「Nothing Rhymed」「Clair」「No Matter How I Try(邦題:さよならがいえない)」が有名。日本では現在でも根強い人気があり、来日公演が定期的に行われている。
同じ1971年に、九重佑三子が「また一人」というタイトルでいちはやくカバーした。オリジナルとは全く異なる内容ではあるが、なかにし礼の迷訳として一部で人気が高い。
コンセプト・アルバム。上からUK版、US版、CD版、2012年リマスター版のスリーブ
1971年、ブロードウェイ初演の大ヒットミュージカル『Jesus Christ Superstar』のナンバーから、プロローグに次いで歌われる「Heaven On Their Minds」とクライマックスの「Superstar」をつないだメドレーである。
実はオリジナルのサウンド・トラックには「Jesus Christ Superstar」というタイトルの曲は存在しない。従って、この作品は前田憲男によるオリジナルのメドレーであると思われる。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』は聖書を題材にしたもので、イスカリオテのユダを狂言回しにしてイエス=キリストの最後の7日間を描いた作品。時間軸と空間を無視した演劇手法やテーマ・音楽が絶賛されたのと同時に、敬虔なキリスト教やユダヤ教の信者が神への冒涜だとデモを引きこすなど、各方面で話題になった作品である。また、作曲のAndrew Lloyd Webberのブロードウェイでのデビュー作で出世作となった。
1969年12月にMurray Headによるシングル「Superstar」、翌1970年10月にはDeep PurpleのIan Gillanをジーザス役にしたコンセプト・アルバム「Jesus Christ - Superstar」がリリースされている。シングルの解説に"preliminary excerpt"とあるように、本作の構想がどのように受け入れられるのか、トライアウト的な意味合いで発売されたものと思われる。1973年に公開された映画版は、このコンセプト・アルバムを元に製作された。
日本では、1973年に劇団四季により初演。ミュージカル・ナンバー以外はオリジナルと違う演出が施されたため、「イエス・キリスト=スーパースター」のタイトルで上演されている。主な出演には、鹿賀丈史、飯野おさみ、久野秀子(現・久野綾希子)、市村正親という今から見ると錚々たるキャストである。
1972年4月(日本では6月)に発売されたJohn LennonとPlastic Ono Bandの共同名義によるシングル。欧米各国で発売されているものの、イギリスで発売されなかった作品である。
アメリカでは「Nigger」という差別用語のため基本的にテレビやラジオでは放送禁止となっているが、当の黒人たちから大きな反感を買うものではなかったようだ。
前述の差別用語をあえて使っている点もさることながら、"Woman is the slave of slaves"という歌詞と対になる"Woman is the slave to the slaves"という部分が興味深い。これは、単に女性差別を問題提起するだけでなく、男性までもSlavesとする皮肉的な表現によって双方に問題を訴えかけようとする、非常に面白いポイントである。
1970年にビートルズ解散後、1971年にジョン・レノンとオノ・ヨーコはニューヨークに移住。前衛芸術家、反戦運動家、黒人解放運動家、女性解放運動家らと交流することで、ラディカルな政治運動に傾倒していった。
こうした流れの中で、オノ・ヨーコの言葉にインスパイアされたジョン・レノンがフェミニズムや女性解放について歌ったのが本作である。
フェミニズムや女性解放運動であるウーマン・リブが最高潮に達していたのが丁度この時期で、同1972年の国連総会では1975年を国際婦人年と決議、女性差別を撤廃するという動きが加速した。1979年には国連総会で女子差別撤廃条約が採択され、世界が男女平等社会の実現に踏み出した。