アルバムの発売予告と広告
1979年の春頃告知のコンサートのちらし。
母・みさをとレコーディングの打ち合わせで渡米。
朱里エイコが出した最後のスタジオ録音によるオリジナル・アルバムである。ライブ盤「Las Vegas Here I Come」に続いて、このアルバムも全米で発売されたという情報があるが、詳細は判明していない。
本作はディスコブームからシティ・ポップスなどのアダルト路線へシフトしつつあった洋楽の流れにいち早く乗ったもので、過渡的な位置にある作品と言える。洋楽ではディスコ・ミュージック、邦楽ではピンク・レディーが全盛だった日本の歌謡界にとっては少し早かったものと思われる。
ちなみに、その後アメリカでは1979年7月に起こったDisco Demolition Nightを境にディスコ・ミュージックが一気に衰退、全世界にアンチ・ディスコの流れが広がり、いわゆるAORやシティ・ポップスなどの台頭が加速した。
Don Costaと愛娘Nikka Costa。彼女は1972年に東京で生まれた。
「ジョーのダイヤモンド」のジャケット写真を使った韓国盤
オール・スタッフ・プロダクションを去り、それ以来私生活でも離婚の噂が絶えなかった頃の朱里エイコが、1978年9月からマネージャーだった夫・渥美隆郎を伴わず、母・朱里みさをと共にアルバムの制作のため渡米。帰国後10月初めに離婚、仕事のために夫を捨てたなどと書き立てられた。
同じ10月中旬に再び渡米し、ハリウッドにあるGroup IVという有名なスタジオで、全てアメリカ人ミュージシャンという環境でレコーディングを行った。
Paul Anka、Frank Sinatra、Olivia Newton-Johnをプロデュースし大成功させたことで知られるDon Costaがプロデューサーとなって制作された。また、このアルバムのためにDon Costa夫妻やErich Bullingからオリジナル5曲(4曲かも?)が提供されている。
また、このアルバムに収録されている「I Get Off On You」でソウル国際音楽祭(1979年6月)に出場している。音楽祭では最優秀歌唱賞を受賞、これを記念してか「I Get Off On You」をフィーチャーしたアルバムが韓国で発売された。
その韓国盤では、1曲目の「SAMURAI NIPPON」が英語版の「ジョーのダイヤモンド」に差し替えられている。これは当時の韓国政府が日本の大衆文化の流入を禁止していたためで、段階的に開放されて行くのはごく近年の1990年代後半の金大中政権になってからのことである。
ところで、このレコードは朱里エイコのシングル・アルバムの中で唯一、レコードの音溝の空白部分に手描きの刻印がなされている。いずれも4時方向で、A面は"DON COSTA - SIDE 1"、B面は"DON COSTA - SIDE 2"と書かれている。
同じく、1時方向には謎のマーク(右画像)が刻印されている。
サビが印象的なミディアム・テンポのディスコナンバー。「SAMURAI NIPPON」と並んでこのアルバムの目玉といってもいい楽曲である。
オリジナルは、Ariolaいち押しの新人だったDeborah Washingtonが1978年5月に発売したシングル曲。翌月発売のファースト・アルバム「Any Way You Want It」に先行して発売された。
同じく翌6月、「I Am Woman」(1972年)の大ヒットが知られているHelen Reddyがアルバム「We'll Sing In The Sunshine(邦題:太陽に歌って)」の1曲目に収録。日本盤では「覚悟を決めて」という邦題がつけられた。シングルカットされているようだが時期が不明。
さらに同じ月に発売されたJohnny MathisとDeniece Williamsのアルバム「That's What Friends Are For」ではデュエット曲として収録されている。
当時のアルバムの広告にはDiana RossやHelen Reddyとの競作と書かれているが、Diana Rossがこの曲を歌った形跡はなく、上記3組の競作だったものと思われる。
また、作者のAmber DiLena自身が1981年に発売したアルバム「Amber」でカバーした。後発だけあって迫力のあるサウンドになっている。
共作者であるJack Kellerは1960年頃から活動しているソング・ライター。Neil Sedakaの「One Way Ticket(邦題:恋の片道切符)」やConnie Francisの「Everybody's Somebody's Fool(邦題:恋にはヨワイ)」「My Heart Has A Mind Of Its Own」、TVシリーズ『Bewitched(邦題:奥様は魔女)』のテーマ曲など、沢山のヒット曲を世に送り出した作家である。
ドイツ盤とスペイン盤のジャケット
ベルギー盤
1974年(月不明)に発売されたOdia Coatesのシングル「Showdown」のB面に収録された曲である。当初のタイトルは「Leave Me In The Morning」だったが、翌1975年にタイトルを改めた新録音版を再発売した。Billboardでは振るわなかったが、カナダのシングルチャートでは25位というスマッシュヒットとなっている。
Odia Coatesは、1974年6月に発売されたPaul Ankaとのデュエット「(You're) Having My Baby」「One Man Woman/One Woman Man」のヒットで一躍有名になった。聖歌隊出身の歌手で、過去には「Are You Lonely?」や「Give Me Your Love」のヒットで知られているThe Sisters Loveに在籍していた。
同じく1975年にはTom Jonesがカバー、シングル「Papa」のB面に収録されている。このシングルはなぜかフランスとベルギーのみ(?)での発売だったようで、Tom Jonesの歌唱としては珍しい作品である。
オリジナルや朱里エイコのバージョンではメロウなバラードとして歌われているが、ソウルやゴスペル的に力強く歌ってもハマりそうに思える。Tom Jonesのバージョンがそれに近い。
Paul Ankaと共作したJohnny Harrisはエディンバラ出身のミュージシャン。イギリス時代はPetula ClarkやShirley BasseyやTom Jonesなどのアレンジを手がけていた。Elvis Presleyからラスベガスに招かれ、1972年からはアメリカに移住している。Paul Ankaとはアルバム「Jubilation」からタッグを組んで、作曲、アレンジからプロデュースまでこなした。1977年頃からはTV番組の音楽を主に手がけている。
1977年に発売されたPaul Ankaのアルバム「The Music Man」に収録された作品である。
このアルバムはPaul AnkaがAORに傾倒し始めた頃のもので、AirplayというAORユニットを組んでいたDavid FosterとJay Graydon、TOTOのメンバー、Larry Carlton、名ドラマーのEd Greeneなど錚々たるメンバーがミュージシャンとして参加して製作された。権利関係の問題があるのか、現在もCD化されていない。アルバムからは3曲がシングルカットされ、「My Best Friend's Wife」はBillboardのアダルト・コンテンポラリ部門で41位というヒットになった。
また、1979年に発売されたSandy Contellaの「Between Two Hearts」というアルバムにもこの曲が収録されている。Sandy Contellaは若くして不動産関係で財を成したフロリダ出身の実業家で、友人だったPaul Ankaのプロデュースで歌手デビューした人物のようだ。
Paul Ankaのバージョンはダブル・エフェクトのボーカルや軽快なフルートの音色が特徴の、タイトル通りスローで洒落たナンバーになっている。一方、朱里エイコのバージョンは多少アップテンポなアレンジになっているが、スロー過ぎてもたついた感じが無きにしも非ずといったオリジナルと比べて洗練された印象を受ける。
2004年、1980年前後の日本の楽曲(和物)を中心としてライト・メロウなものを発掘紹介するガイドブック「Light Mellow 和モノ 669」が発売され、本作がこのアルバムの中で一押しの楽曲として紹介された。
このアルバムのために書き下ろされたオリジナルだろうか。どことなくオールド・ファッションな雰囲気がある、スロー・テンポのシリアスなラブ・バラードになっている。
Don Costaとアレンジ作業を分担しているErich Bullingはチリ出身のミュージシャンで、1960年代には民族音楽グループであるVoces de Tierralargaに在籍して活動した。その後は、Chicagoのリード・ボーカルを務めたPeter Ceteraのソロ・アルバムのプロデュースや、1987年公開の映画『Dirty Dancing』への楽曲提供などが知られている。
また、朱里エイコをはじめ、1979年にはピンク・レディーのシングル「Kiss In The Dark」のB面のカバー曲「Walk Away Renee」のアレンジを手がけたほか、1984年には岩崎宏美や河合奈保子のアルバムで作曲や編曲を手がけるなど、現在でも日本の歌手との関わりが多いアーティストである。
共作のTerry RayはDon Costaの夫人で、Terry Ray Costa名義でも作品を残している。娘であるNikka Costaの初期作品で、1983年にDon Costaが亡くなる頃までの作品に多くクレジットされている。
本作も、前トラックと同様Erich BullingとTerry Rayコンビによる新曲だろうか。打って変わって夏っぽい陽気なミディアム・テンポの楽曲である。
B面3曲目の「I Get Off On You」とイントロの出だしがよく似ており、それに続くイントロだけ聞いているとどうしても大橋純子の「シンプル・ラブ」が空耳で聞こえてきそうだ。威勢のいい合いの手や漏れる声が雰囲気を盛り上げている。
注意して聴かなくても、後半になるにつれて明らかに喉の調子が悪くなって行くのがわかる。レコーディング・スケジュール後期に録音されたものだろうか。声が濁ってきているところを力押しで歌っている感があって、聴いていてハラハラさせられる。
オリジナルは1972年5月発売に発売されたPaul Ankaのアルバム「Jubilation」のB面1曲目に収録されていた曲で、以降に発売されているPaul Ankaのベスト盤ではほぼ常連の収録曲である。
シングル・カットはされていないが、一押しだったのか人気があったのか、片面にそれぞれモノラル版とステレオ版を収録したラジオ局向けのプロモ盤が存在する。
また、フランスを代表する歌姫のひとりとして知られているMireille Mathieuが、1979年にPaul Ankaと組んで出したデュエットアルバム「Mireille Mathieu Sings Paul Anka~You And I(邦題:愛のシルエット)」の中で歌っている。
Paul AnkaとMireille Mathieuの2人はどちらも穏やかなバラードという感じで一音一音をテヌート気味に歌っている一方、朱里エイコバージョンはよりポップなアレンジになっており、スタッカート使いの多い力強い歌唱になっている。
この作品に限らず、朱里エイコのカバーには前述のような傾向が見られ、それが彼女の特徴のひとつともいえる。
Erich BullingとTerry Rayのコンビによる新作3作目だろうか。
イントロはディスコミュージック特有の雰囲気があり、それでいてメインパートはシティ・ポップスのようなノリといった、両者を折衷したような過渡的な楽曲といったところだろうか。
不調のように聴こえる前2曲と比べて、声に艶があって良く伸びているようだ。
アルバムのプロデュースと楽曲アレンジを手がけるDon Costa自らが作詞・作曲に携わった作品で、夫人のTerry Rayと共作したものである。
サビがとてもキャッチーなディスコ・ナンバーで、グルーヴという観点から見れば、目玉作品の「SAMURAI NIPPON」や「READY OR NOT」に並ぶ作品といえる。
イントロから所々で使われているサックスの音が印象的で、ブラスやストリングスのほか、ハープのグリッサンドを随所に使用した贅沢な作りになっている。また、打楽器によるイントロもそうだが、全体的にBarry Manilowの「Copacabana」を思い起こさせる作品である。
1979年6月2日に開催された第2回ソウル国際音楽祭にはこの曲で出場、グランプリに次ぐ最優秀歌唱賞を受賞した。
ところで、「Love's Theme(邦題:愛のテーマ)」の大ヒットで有名なLove Unlimited Orchestraを率いたBarry Whiteの楽曲に同じタイトルの作品があるが、これは同名異曲である。
Don Costaが中心となって製作されたもので、エンディングを飾るにふさわしい叙情的なメロディーの作品になっている。このスローなバラードでは、声の擦れや裏返りが逆に魅力的だ。ライブ感というものだろうか、頭から順に聴いていけば、とりわけそう感じることができるだろう。
この作品は「Someone To Love」というタイトルで、「Slow Down」の項でも紹介したSandy Contellaのアルバム「Between Two Hearts」に収録されている。正確な発売日やレコーディング時期などの情報が得られていないため曖昧ではあるが、恐らく朱里エイコ版がオリジナルだろう。
また、Ferrante & Teicherが1979年に発売したアルバム「Superman」に収録されているものは未聴なので断言はできないが、本作のインストゥルメンタル・バージョンだと思われる。Ferrante & Teicherとは、1960年に映画『The Apartment(邦題:アパートの鍵貸します)』や『EXODUS(邦題:栄光への脱出)』のテーマ曲をカバーして大ヒットしたイージー・リスニング界の巨匠とでも言うべきピアノ・デュオである。
共作者のAnnette Tuckerは60年代から活動している女性ソングライターで、Frank Sinatra、Sonny&Cher、Tom Jones、Maureen McGovernなどの楽曲を手がけており、この作品でも組んでいるArthur Hamiltonとの共作が多いようだ。The Electric Prunesの「I Had Too Much To Dream Last Night」が代表作となっている。
Arthur Hamiltonは、大ヒット曲の「Cry Me A River」で有名なジャズ畑のソングライターである。
USプロモ盤
ラストは、このアルバムでは2曲目となるPaul AnkaとJohnny Harrisのコンビ作。全体的にグルーヴ感の強い曲になっている。また、メインボーカルと入れ替わるように、コーラスとブラスセクションがクレッシェンドしていき、トランペットのハイノートで歯切れ良く締めるエンディングが印象的。
オリジナルは、Paul Ankaが1973年4月に発売したBuddahレコードでのラスト・シングル「Hey Girl」である。前作にあたるアルバム「ENDLESS」に収録された「Lonly Boy」の時と同じく、"Girl"と"Boy"を入れ替えてのカバーとなった。
意図的なのか、なにか都合でもあったのか、これでよくOKが出たなというぐらい声が壊れてしまっているのが残念なところ。
1977年から「スーパー・ナウ(Everything Is Super Now)」「スーパー・シンキング 永遠の想い(Super Thinking)」「スーパー・サンシャイン(Super Sunshine)」といったニッカウヰスキー「スーパー・ニッカ」のCMソングを手がけていたPaul Ankaは、1980年にCMソング第4弾(UAから移籍してRCAとしては第2弾)となる「My Life」のシングルB面で本作を「Super Night」と改題してセルフカバーした。