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※シェイキンマイソウル様に情報提供していただきました。
同じ年の夏に赤坂プリンスホテルで撮影。(週刊現代 1964年9月3日号より)
オリンピックを秋に控えて好景気に沸く1964年5月、田辺エイ子としてのデビュー・シングル「交通戦争はイヤ/星はぼくらの仲間」に引き続いて童謡を歌ったシングルが発売された。以降のシングルと同様片面のみでの登場である。
赤坂のキャバレー"ゴールデン月世界"でアメリカ人プロデューサーであるトーマス・ボールのオーディションを受けてアメリカ行きが決定する直前のモノになるだろうか。
作詞の中村千栄子は、NHK「うたのえほん(おかあさんといっしょの前身)」「みんなのうた」などで作品を発表していた童謡作家または詩人。後に校歌や合唱曲なども手がけるようになり、芸術祭奨励賞(組曲「愛の風船」、1966年)や芸術祭優秀賞(「花之伝言」、1981年)を受賞している。この時期に本作でコンビを組んだ湯山昭との作品を多く送り出している。初の作品集「レモンと海(1964年、カワイ楽譜刊)」が発刊された時点ではオムニバス作品の一部として吹き込まれた作品が多いものの、シングル両面とも彼女の作品というのは本作のみのようだ。
作曲の湯山昭は合唱や童謡を主に幅広い分野の作品を手がける作曲家。1970年には「混声合唱とピアノのためのバラード『コタンの歌』」で芸術祭大賞を受賞したほか、文化庁芸術祭優秀賞(1977年)や日本童謡賞など数多くの受賞歴がある。日本の童謡を世界に誇る文化所産として後世に残すべく7月1日を童謡の日として提唱するなど、現在は一般社団法人日本童謡協会の会長として活動している。
※本作の前後には中村千栄子・湯山昭両氏が携わったNHK「うたのえほん」からのラインナップが並ぶ。歌手名には2代目と3代目の"うたのおねえさん"の名前が見られる。また、宍倉正信の名前が間違って表記されている。
3番からなる韻文で構成される、縦笛(リコーダー)をテーマにした和やかな詩。手にしたばかりの児童が吹いているのだろう特徴的な擬音が愉快な作品である。
リコーダーといえば、小学校3年生になるとジャーマン式のソプラノ・リコーダーを使った音楽の授業が始まるというのが一般的な日本人にとっての共通認識ではないだろうか。
歌詞にあるような、学校の帰り道にリコーダーを吹きながら帰る児童も最近では見かけなくなってきた。
中村千栄子の作品集「レモンと海」によると、「ぼくの子守唄」とともに前年1963年12月に作詞された作品となっている。また、湯山昭作品集「赤い風船とんだ(1989年、東京書籍刊)」では「たてぶえ ふいたら(英題:As I Played the Recorder)」とひらがなオンリーのタイトルで表記されている。
小海智子と宍倉正信コンビによる童謡作品。
小海智子は、銀座にあった伝説のシャンソン喫茶・銀巴里を拠点として、NHKの歌番組「夢で逢いましょう」などに出演したシャンソン歌手。端正な顔立ちに似合わず力強い歌い方が特徴。小島功原作による日本最古の深夜アニメといわれる「仙人部落」で声優を務めたことでも知られている。
宍倉正信は、NHKのこども向け音楽番組「歌のメリーゴーラウンド」で初代の司会を務めたバリトン歌手。同番組のために編成されたコーラスグループである東京マイスタージンガーのメンバーでもあった。同番組や「みんなのうた」で放送された「地球を七回半まわれ」やアニメ「男一匹ガキ大将」の主題歌が知られている。
▼2番からなる韻文とコーダのような終結部分で構成される、就寝前の子供のモノローグを描いた作品。
大人にとってはほんの些細なことも、子供にとっては一大事といった今日の出来事が伝わってくる。ロジックでは追えない断片的な内容が子供らしさ、いい意味での散漫さを表しているように思われる。
ちなみに「たてぶえ吹いたら」と同様、宿題が嫌いな児童像が織り込まれている。どちらもリアルな子供目線というのが特徴といえるだろう。
中村千栄子作品集では「ぼくの子守歌」、湯山昭作品集では「ぼくの こもりうた(英題:My Lullaby)」と表記されている。
同名異曲に「ぼくのこもりうた(作詞:井出隆夫、作曲:福田和禾子)、初出時期不明」という作品がある。描写年齢がずっと下がって乳児を連想させる内容になっている。「おかあさんといっしょ」で使われていたことや、多数のオムニバス作品に収録されていることもあってこちらのほうが知名度が高い。10代目うたのおねえさんを務めた小鳩くるみ(現・鷲津名都江)をはじめ、現在に至るまで数多くの歌手に歌われている。
▼この音源は現物を所持していません。
このレコードは国会図書館にも所蔵されていない幻の音源です。