「ティーン歌手ばかりモテる日本の歌謡界では、自分自身スポイルされてしまう」(週刊大衆 1976年10月28日号)と言って、1975年3月に長期渡米のため日本を後にした朱里エイコの置き土産的シングル。
なんといってもオークション・サイトでの値段の高さが特徴である(¥3,000~13,000ほど)。
デジタル・リマスターされた音源があり、とくに超絶レア盤でもない本作だが、和物をプレイするDJがこぞって取り上げたために人気が高まっているようだ。
2枚使いのDJプレイの予備にとか、音質の良い初期ロットを探しているなど、そういったことで競争率が上がっているのだろう。
1976年11月にワーナー・パイオニアでは廃盤を含むレコードの型番を一新しているが、この時に新しい型番で再発売されたのが代表曲「北国行きで」とこのシングルだった。
2019年11月には、レコードの日限定盤として「愛のめざめ」と共にHMV record shopから再発売された。
朱里エイコ自身がアイデアを出し、作詞した作品である。
スラップベース、軽快なオルガンにブラス、パワフルなコーラス、歌詞の中にもあるようにまさにグルービーな曲になっている。これは洋楽カバーを長らく手がけていた東海林修のセンスによるものが大きい。
コーラスとの掛け合いが、ええじゃないか節のように面白いノリになっていくところなんかは、ダサかっこいいどころか超かっこいい。
楽曲内で演奏される津軽三味線は木田林孝栄氏によるもの。木田林孝栄氏は初代・木田林松栄氏に師事し、当時多忙であった木田林松栄氏に代わってレコーディングからコンサートツアーまで全て同行されたとのこと(情報提供、沖様)。
津軽三味線の名手・木田林松栄氏は、石川晶とカウントバッファローズと組んだアルバム「津軽じょんがら節 ドラム&津軽三味線」が特に有名。
この和楽器とファンクのフュージョンはとりわけアメリカで受けたようで、「AH SO」のフレーズに「AH SO」と掛け声がかかったそうだ。
1990年代中頃からレア・グルーブとして人気に火がつき、今となってはもはや代表曲のひとつとしてもいいぐらいだ。
ところで、菅内閣で内閣官房参与を務めた、評論家または思想家・歴史家である松本健一は、昭和天皇がよく口にした「あっそう」と絡めて、この曲について著書や雑誌記事の中で度々言及している。面白い点があるので引用する。
――天皇訪米(※1975年9月30日~10月14日)にあやかろうとした音楽関係者たちのもくろみの結果として生まれた歌なのかもしれない。(「私の同時代史」第三文明社, 1981年, pp.281-282)
――その後、かの女の「Ah, So!」という歌声を一度もきいた憶えがないから、何らかの圧力がかかったのかもしれない。圧力をかけたとすれば、宮内庁あたりだろう、と察しはつく(「畏るべき昭和天皇」毎日新聞社, 2007年, pp.31-32)
「戦前なら不敬罪」云々はさておき(さておけないが)、乱暴な推論のため結局この人の思想は右なのか左なのか、はたまた中道なのかさっぱり判らなくなってくる。とりあえず、当時日本を留守にしていた朱里エイコがラスベガスで「AH SO!」を歌ったライブ音源があり、それがラジオで放送されていた、という貴重な情報が得られた。
ちなみに、このシングルは天皇訪米より半年前に発売されたもので、渡米を控えた1975年2月には既にコンサートで歌われており、当然製作時期はそれより遡る。天皇訪米の民間への発表がいつだったのかが気になるところだ。
(その他の参考書籍: 「昭和天皇伝説 たった一人のたたかい」河出書房, 1992年, pp.169-170、「文藝春秋」2006年8月臨時増刊号, p.24)
結局この曲の「AH SO!」とは何なのだろうか。
朱里エイコが書いた歌詞の中で「Ah So!」という言葉を説明している部分は以下の通りである。
――It's something like "Oh, Yeah" I've gotche
――It's sounds like "Oh, Yeah" you've got it
この中で特に、"gotcha(歌詞のgotcheは誤植か?)"という言葉は「I got you」が転じたもので、場面によって沢山の意味を持つスラングである。
それと同様に日本語の口語「あ、そう」も、代表的な「へぇ、そうなんだ」という以外に文字だけでは伝えることができない、会話の文脈や話者の表情や調子によって様々な捉え方ができる表現である。
それらを意識してかしないでか、日本での活動を休業してラスベガスのショーシーンへ再び飛び込もうとしている朱里エイコが、自らのナショナリティやアイデンティティを表すためのツールとしてこの曲を作ったのではないかと考えることができる。
これについては作詞の朱里エイコ自身が故人となってしまった今となっては、詳しいことは当時の関係者ぐらいしか知りえないだろうから、憶測にしか過ぎないので念のため。
また、この朱里エイコが伝えたいニュアンスに通じるものとして、GHQ占領下の日本でアメリカ人学者が出版した「AH SO! the Misadventures of a Foreigner in Japan(邦題:あーそう 青い眼の世相さまざま)(1954年)」の存在が参考になる。
これは、1950年頃に日米の新聞や週刊誌に掲載されていたものを単行本にしたもので、日本をおもしろおかしく(愛をもって)紹介した漫画である。
日本人のメンタリティのひとつを表すための簡潔な表現として、「AH SO!」という言葉が外国人によって紹介されていたことは驚きである。
昭和50年代頃から崩御までの間、マスコミでは園遊会などで昭和天皇が朴訥に、時には笑顔で「あ、そう」と受け答えするのがテレビのワイドショーなどで度々話題になった。
「あ、そう」といえば昭和天皇というイメージが定着している部分もあるかもしれない。
しかし、昭和天皇の口癖よりも朱里エイコの歌よりも、日本人の特色の一面を捉えた外国人がすでに書物のタイトルにしていたことをまず知っておけば、思想や政治的思惑に煩わされることもなくなるだろう。
全く話は変わるが、同名異曲にダウン・タウン・ブギウギ・バンドが1976年3月に発売したシングル「裏切者の旅」のB面に収録される「ア!ソウ(作詞:阿木燿子、作・編曲:ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)」というものがある。日本テレビの「カックラキン大放送」終了後の提供読みのバックに使われていた(らしい)。
全編に亘って「アッソウ」しか言わない曲だが、ファンキーでノリの良い作品になっている。
A面とはうって変わって、しっとりとした大人向けな歌謡曲になっている。
こういうジャンルをなんと説明してよいか分からないが、ポール・モーリアなんかが聞こえて来そうな水っぽいムードである。チェンバロやストリングスが与えるイメージの影響が大きいのだろうか。
歌声がなければ純喫茶あたりでBGMとしてかかってそうな雰囲気だ。