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歌う雑誌 KODAMA NO.26コダマ★ヒットパレード

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詳細データ

愛好者カード 裏面

挟み込みのアンケートはがき。ソノシートではなくフォノシートと明記されている。

発行日
1962/4/8
価格
¥380
発行元
コダマプレス株式会社
編集・発行者
田中京之
演奏
KODAMAシンフォニック・アンサンブル、小野満とスイングビーバース(「恋人よ帰れ」のみ)
山崎唯、小割まさ江、石田良子、田辺エイ子
編曲
二宮久雄、まき・さとる、三保敬太郎
表紙の女性
浅丘ルリ子(日活)
表紙撮影
河合肇
表紙デザイン
堀内誠一
本文写真
石月美徳、七沢盛郎、園部裕
本文カット
佃公彦
印刷
共同印刷
マトリクス番号
K26-1(Disc1)、K26-2(Disc2)、K26-3(Disc3)

※本文では田辺エイ子と紹介されているが、帯やシートには田辺栄子と書かれている。

解説

「歌う雑誌 KODAMA」創刊号

KODAMA創刊号、表紙は芳村真理。

写真

33回転のステレオLP。歌手名は田辺栄子になっている。

「歌う雑誌 KODAMA」は、1959年11月に発売された日本で初めてのソノシート付き雑誌である。六法全書や社会科学・人文科学系出版社として有名な有斐閣の子会社であるコダマプレスが発行。これは第26号にあたる。

当時、ソノシートという呼称はフランスのソノプレス社と独占契約を結んでいた朝日ソノラマの登録商標だったため、KODAMAのものはフォノシートと呼ばれていた。

表紙は女優の浅丘ルリ子。撮影は雑誌の表紙写真やアイドル写真集などで有名な河合肇。挿絵は「ほのぼの君」やラジオ体操のキャラクターを描いた佃公彦。

誌面では学生時代の朱里エイコの写真と共にプロフィール等が紹介されている。

当然車での移動だったのだろうが、外を大きな人形を抱いて出歩くとは恐れ入る。有名な舞踊家の娘として紛れもなくお嬢様然としていたのか、ちょっとしたイメージ戦略だったのかは今となっては知る術もない。

後年語られた、歌手になりたくて家出をしたり、学校帰りに喫茶店で着替えてオーディションに行くといったバイタリティのあるプロフィールと全く一致していない。

尤もこれから歌手としてデビューしようとしている10代の娘が、上記のようでは札付きのワルとして敬遠される時代だったというのもあるかもしれない。

ちなみに、母・みさをが講師や振付をしていた宝塚歌劇団の養成所である宝塚音楽学校の合格発表には、人形を抱いて来るようなお嬢様が普通にいたそうだ。今では考えられない光景である。

以下に誌面の一部を掲載する。

写真

"シンデレラ"を歌う田辺エイ子について

おおきな熊の人形をだいてスタジオ入りした田辺エイ子は、21年3月19日生れの16才。バレーの朱里ミサオ氏のお嬢さんで、佐々木功のバンドであるロリーポップについてヒットソングを歌いまくっている。お得意はこの"シンデレラ"のほか"2万4千のキッス"、"小さい悪魔"など。

"シンデレラ"について

シンデレラ――まま母やいじわるな姉達にいじめられたけれども、王子の目にとまって最後にはお妃になるという心優しいレディのお話は、どなたもご存知だろう。

一説によると親切な妖精が靴のサイズを片一方間違えて大きくしたので脱げたのだともいうが、それでは家臣が靴をもって足に合わせにきたとき合うはずがなかった。ところで現代のシンデレラは王妃になることではなく、身近な愛をつかむことなのだろうか。でも幸せだからといってあまり夜遅くなってはいけません。

マヒナスターズの歌う"泣かないで"ではないが"明日の晩も会えるじゃないか"のアメリカ版が、この"シンテレラ"というわけ。

この曲の原題は"CINDERELLA"、作詞・作曲はおなじみのポール・アンカ。16才のとき歌手としてデビューして以来、自分の歌の大半を自分で作っている。

"ダイアナ"、"クレージイ・ラブ"とか"君はわが定め"といった往年のヒット曲のほか、最近のものでは"デンワでキッス"、"今夜二人で"、"涙のダンス"があるが最新のヒットソングがこの"シンデレラ"。歌詞の大意をお伝えすると

"もう遅くなったからデートもおしまい さあ早くお家へ帰ろう キッスを交わしていると幸せで つい時間のたつのも忘れていたけれど もう12時になってしまった

出掛けにお父さんやお母さんに約束した通り かわいいシンデレラさん帰ろうよ 今日のデートはこれでおしまい でも二人の愛は永遠のもの"

曲目紹介(Disc1)

  • ブルー・ハワイ

    映画「ブルー・ハワイ」主題歌 山崎唯
    作詞
    Leo Robin
    作曲
    Ralph Rainger
    Elvis Presley「NO MORE/BLUE HAWAII」

    Elvis Presleyの主演映画『Blue Hawaii』(1961年)の主題歌。日本での公開(1962年5月)に先駆けての選曲だろうか。

    アメリカ本国ではサウンドトラックのみの発売だったようだが、日本では「NO MORE(邦題:ラ・パロマ)」とのカップリングでシングルカットされている。

    この曲のオリジナルは、映画『Waikiki Wedding』(主演:Bing Crosby、Shirley Ross、1937年)のために作られたもの。その後Bing Crosbyの歌唱でレコード化され、Patti PageやFrank Sinatraなどがカバーしている。

    山崎唯は、ブリジストンのCMソング「どこまでも行こう」等、独特の声で有名。イタリアの人形劇「トッポ・ジージョ」(1966~1968年)のトッポ・ジージョや、スウェーデンの子供向け小説をアニメ化した「ニルスと不思議な旅」(1980~1981年)のキャロット(アニメ版オリジナルキャラクター)の声を演じた。また、朱里エイコのキングレコード時代のシングル曲「むかしの貴方」の作曲を手がけている。

  • 恋人よ帰れ

    映画「恋人よ帰れ」主題歌 小割まさ江
    作詞・作曲
    Frank Denny De Vol
    映画「Lover Come Back」のポスター

    ニューヨークの広告代理店を舞台にした映画『Lover Come Back』(主演:Rock Hudson、Doris Day、1961年)のオープニング・クレジットでDoris Dayが歌ったもの。

    1959年の映画『Pillow Talk(邦題:夜を楽しく)』に続く、Rock HudsonとDoris Dayのコンビ作となった。

    Lover Come Backといえば、同名の映画『Lover Come Back』(主演:George Brent、Lucille Ball、1946年)やポピュラーソングの「Lover Come Back To Me(邦題:恋人よ我に帰れ)」、さらにコメディー映画『Fortune Cookie(邦題:恋人よ帰れ!わが胸に)』(主演:Jack Lemmon、 Walter Matthau、Ron Rich、1966年)もあり、とても紛らわしい。

    小割まさ江は、昭和30年代に活躍した黒人のようなフィーリングを持ったジャズ歌手のようだ。1960年の第11回紅白歌合戦に出場、有明ゆり・沢たまき・高美アリサと共にラテンのスタンダード「Historia De Un Amor(邦題:ある恋の物語)」を歌っている。

曲目紹介(Disc2)

  • 剣の舞い

    映画「ワン・ツー・スリー」主題曲
    作曲
    Aram Il'ich Khachaturian
    編曲
    二宮久雄
    画像

    1964年、ボリショイ劇場でハチャトゥリアン自身の指揮で上演されたもの。

    画像

    ハチャトゥリアン作曲のバレエ「ガイーヌ」(初演1942年)の第4幕のクルド人の剣舞で使われる曲である。

    初日の前日に追加されたシーンのために急遽作曲されたもので、バレエ自体より曲ばかりが有名になってしまっている。

    本誌では映画『ONE, TWO, THREE(邦題:ワン、ツー、スリー/ラブハント作戦)』の挿入曲として取り上げている。

    冷戦をテーマにしたシニカル・コメディで、コカ・コーラの重役令嬢がベルリンで共産主義の青年と結婚・妊娠すると言う極めてブラック(笑)な作品。主役であるコカ・コーラの社員のJames Cagneyがラストシーンで手にしているのがペプシ・コーラというのも驚きの演出。この頃から既にヤりあっていたのか。

    脚本・監督はBilly Wilder。Billy Wilderの脚本・監督作といえば、『サンセット大通り』のほかに『皇帝円舞曲』『七年目の浮気』『昼下りの情事』『あなただけ今晩は』『お熱いのがお好き』『アパートの鍵貸します』など手がけた有名作品が多数ある。

    ちなみに、1979年には尾藤イサオが"尾藤イサオ&ドーン"という名義でこの曲に歌詞をつけたものをコミカルに歌っている。歌詞はなかにし礼、編曲はいずみたくが担当した。

  • ピノキオへの手紙

    山崎唯
    作詞・作曲
    Mario Panzeri
    訳詞
    荒川ひろし
    編曲
    二宮久雄
    ザ・ピーナッツ「ウナ・セラ・ディ東京」

    ゼッキーノ・ドーロの第1回入賞曲。

    本誌によると邦訳では日本初とのことだが、Wikipediaによると日本に初めて紹介されたのは音羽たかしの訳詞となっている。

    NHK「みんなのうた」でも放送されたものや、ザ・ピーナッツがアルバム「ウナ・セラ・ディ東京」の中でスマイリー小原と歌っているのが有名。こちらは訳詞・あらかはひろし、編曲・東海林修となっている。

    音羽たかしという作詞家・訳詞家の"中の人"については諸説あるようだが、本作の訳詩としてクレジットされている荒川ひろし、あらかはひろし、音羽たかしは全て当時のキングレコードのディレクターだった牧野剛のペンネームである。

    この曲はCarlo Collodiによる児童文学「Le Avventure di Pinocchio(邦題:ピノッキオの冒険)」に捧げられた歌で、Johnny Dorelliが歌った。Johnny Dorelliは1958年のサンレモ音楽祭でDomenico Modugnoと共に「Nel Blu Dipinto Di Blu(Volareのオリジナル)」を歌った歌手。

    ゼッキーノ・ドーロ(Lo Zecchino d'Oro)とは、子どものための歌を子どもが歌い子どもが審査するという音楽コンクール。イタリアのボローニャで年1回開催され、1959年から現在まで続いている。

    第11回(1969年)の入賞曲「Volevo Un Gatto Nero」は、皆川おさむの「黒猫のタンゴ」として日本でレコードの売り上げが200万枚を超える大ヒットとなった。

曲目紹介(Disc3)

  • 子供じゃないのよ

    石田良子
    作詞
    Mike Hawker
    作曲
    John Schroeder
    訳詞
    漣健児
    Helen Shapiro「You Don't Know/Don't Treat Me Like A Child」弘田三枝子「子供ぢゃないの/悲しき片想い」

    この曲を歌った石田良子はいしだあゆみの本名。いずみたくに師事していたデビュー前の貴重な歌声である。

    オリジナルは「Don't Treat Me Like A Child」。イギリスの歌手Helen Shapiroのデビュー曲。

    Helen Shapiroは1961年に14歳でデビュー、このデビューシングルは全英3位という大ヒットとなった。続いて発売した「Walkin' Back To Happiness」や「You Don't Know(邦題:悲しき片想い)」は全英第1位を獲得、史上最年少記録となった。

    日本では弘田三枝子がデビューシングル「子供ぢゃないの/悲しき片想い」(1961年)でカバーした。彼女もHelen Shapiroと同じ14歳でのデビューで、どちらもロー・ティーン歌手のデビュー盤とは思えない歌いぶりである。

    弘田三枝子版のタイトルは"ぢゃ"がポイント。

  • シンデレラ

    田辺エイ子
    作詞・作曲
    Paul Anka
    Paul Anka「Kissin' On The Phone/Cinderella」ポール・アンカ「デンワでキッス/シンデレラ」坂本九・森山加代子「いつもアイ・ラヴ・ユー/シンデレラ」松島トモ子「シンデレラ/つめたい言葉」ザ・ピーナッツ「コーヒー・ルンバ/シンデレラ」

    オリジナルは1961年8月に発売されたポール・アンカの「Cinderella」で、大ヒット曲「Kissin' On The Phone(邦題:デンワでキッス)」のB面に収録された。ロックンロール・アレンジのオリジナルとオーケストラ・アレンジのバージョンが存在し、歌詞も一部で異なっている。

    →Paul Anka 「Cinderella (オリジナル)」

    →Paul Anka 「Cinderella (別バージョン)」

    1961年の12月に森山加代子が坂本九とのデュエット曲「いつもアイ・ラヴ・ユー」のB面で歌った。また、東芝フォノブックの「加代ちゃんのシンデレラ」にも収録されている。訳詞はみナみカズみ(安井かずみの学生時代のペンネーム)、編曲はダニー飯田。

    同じく12月、松島トモ子が漣健児の訳詞、小杉仁三の編曲でコロムビアからレコードを発売している。

    翌年の1月にはザ・ピーナッツが「コーヒー・ルンバ」のB面で歌った。こちらの訳詞は音羽たかし、編曲は宮川泰。彼女らは前年にも「パパはママにイカレてる」のB面でPaul Ankaの曲をカバーしている。

    森山加代子はこの曲で2度目の紅白歌合戦出場を果たした。その第12回紅白歌合戦は、前年までの日劇に代わって東京宝塚劇場に会場を移して開催された。これ以降、1973年に落成したばかりのNHKホールで開催されるようになるまでは東京宝塚劇場が会場として使われた。

    松島トモ子は美少女子役出身の女優として、麦茶のCM、またライオンや豹とのエピソードが有名。1964年には朱里エイコと同じく単身渡米、ミュージカルを学んだ。翌1965年に『ニューヨークひとりぼっち―ミュージカル留学記』という手記を出版している。

    田辺エイ子(朱里エイコ)は日本語訳詞ではなくオリジナル英語詞を歌っている。

    まだまだ荒削りな面があるかもしれないが、この当時から既に力強く安定した歌声をしていることに驚かされる。

    ※再生する際は音量に注意してください。

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この書籍について。

「歌う雑誌 KODAMA」のバックナンバーのうち国会図書館が所蔵するのは1・2・4・6・7・11・14号のみで、この号は収蔵されていません。